祈りとは、詫びる心なのかもしれませんね
古来より暮らしの中に伝わってきた年中行事の盛り物や飾り物の「室礼(しつらい)」を、30年以上にわたり研究し、後世に伝える活動を精力的に行っている山本三千子女史。教室「室礼三千」では、室礼を実践しながら日本の文化に連なるアジアの文化を紐解き、連綿と受け継がれる文化血脈の流れと行事にまつわる意味を解説する。祈りについての解説で、ぽろりとこぼされた言葉がこれだ。
「今になって思うのです。ああ、あのときの母や父の思いはこうだったのか、と。本当に、申し訳なかったと思います。手を合わせて祈るとき、『ごめんなさい』という思いが湧いてきます」
祈りというのは、故人に対しての詫びる気持ち。
あるいは、
苦しんでいる人に対して代わってあげられないことを申し訳なく思う気持ち。
天皇陛下や皇后さま、上皇、上皇后さまが日々祈りを捧げておられるのも、おそらく「詫びる」心からではないか。
先の戦争の犠牲者や自然災害をうけた被災者への詫び。
国民への詫びる心が幸せを願う祈りにつながっているのではないか。
そう山本女史は言葉を継いだ。
新年に始まり、年の暮れまで、日本人は幾度となく手を合せる。
日常で、あるいは神社仏閣で。
ありがとう。
ごめんなさい。
いただきます。
ごちそうさまでした。
感謝します。
思いは両掌に伝わって、自然にふたつが重なり合う。
重なり合った掌は、念仏となって心の裡へ唱え始める。
「ありがとう」が「ごめんなさい」に。
「いただきます」が「ごちそうさま」に。
感謝の気持ちが詫びる涙となり、心と御霊を洗い清める。
あけましておめでとうございます。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
みなさまにとって、幸多き一年でありますように。
合掌。
(200104 第606回)