衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、常に態度を変えないものである
イタリア最大の思想家、『君主論』で知られるマキャヴェッリの言葉を紹介。人間が本来もっている善と悪。その「悪」の部分にフォーカスしたことで性善説思想の人たちからは否定的に見られがちだが、現実社会で生きていくには、マキャヴェリズムの強烈さも必要だろう。塩野七生著『マキアヴェッリ語録』から抜粋した。
運命と宿命の違いはなにか。
変えられないのが「宿命」で、変えられるのが「運命」。
命に宿ったものと、命を運ぶもの。
このことを頭で理解している人は多いが、腹で理解している人は、はたしてどれくらいいるだろうか。
良い運に恵まれているときは有頂天になり、不運に見舞われるとどん底になる。
運命に振りまわされやすい性向は、受けた教育の結果であることが多い、と塩野七生は記す。
なぜなら、教育は人間社会を知ることを教えてくれるものだから、その変転の激しさを理解できるようになり、そのいかんにかかわらず、動じない性格をつくりだすことになるからだ、と。
2017年、熾烈な戦いを繰り広げてWBA世界ミドル級王者となった村田諒太選手。
彼は、自分のなかにある弱さに打ち勝つために、ラインホルト・ニーバーの祈りの言葉を繰り返し唱えていたという。
――変えられるものを変える勇気を、
変えられないものを受け入れる冷静さを、
そして、両者を識別する知恵を与えたまえ。
変えられる運命を自ら変えていく勇気があれば、
変えられない宿命を受け入れる冷静さがあれば、
その両者を見極める知恵があれば、
なにがあろうと、動じることはない。
腹が座われば、覚悟も決まる。
彼は、きちんとした教育を受けていたのだろうし、
それ以上に、自らすすんで学んでいたのにちがいない。
与えられた命を運ぶことが人生なら、
勇気ある行動も、
冷静な受容も、
知恵ある識別も、
自ら学び、経験することで身についてゆく。
頭から腹へ、腹から肝へ、
心力が降りて不動となる。
(200112 第608回)