日本人として覚えておきたい ちからのある言葉【格言・名言】
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紺碧の将

「まことの花」は散ることのないものである

『風姿花伝』より

 世阿弥の『風姿花伝』より一文を。ある本に、「適齢期」の説明として世阿弥の「まことの花」が取り上げられていた。その本とは、佐治晴夫氏の『宇宙のカケラ』。適齢期とは、ある時期だけを指すのではなく、人の一生すべての時期を指すのだと、佐治氏は世阿弥の言葉を借りて説く。
 
 世阿弥に倣えば、
 芸の極みを「花」とする。
 その花は2種。
「時分の花」と「まことの花」。
 
 佐治氏の説明を引用しよう。
 
「『時分の花』とは、ある時期にだけ咲かせることができる鮮やかで魅力的な一過性の花のことであり、『まことの花』とは、自分という木は枯れていくとしても、そこで密やかに咲き続ける芸事究極の『花』だといっています」
 
 枯れ草に魅せられ、草を描きつづけている若手洋画家の岩井綾女さんの言葉を思い出した。
 
「風になぎ倒された枯れ草がキラキラ輝いて、ほんとうに綺麗でした」
 
 中学生の頃に見た光景だという。
 なぎ倒された枯れ草はエネルギッシュで、その光景が未だ忘れられないそうだ。
 以来、大好きな草を描きつづけている。
 
 彼女は「まことの花」を見たのだろう。
 だれもが「時分の花」に魅せられる中、
 ほんとうの「花」を認めたのだ。
 
 幼さゆえの花、若さゆえの花は、だれの目にもはっきり映る。
 その花は、時がくれば色を失い散ってゆく。
 
「まことの花」は散ることはない。
 散るどころか、

 自分(時分)は枯れても、内にたまった光はもれる。
 
 佐治氏の口を借りて、世阿弥は言う。
 
「まことの花」となりたければ、
「時分の花」を教授し味わい尽くしながらも、慢心することなく、さらなる研鑽を積みなさい、と。

 

 まことの花になりたければ、のはなし。

 

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(200210 第616回)

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