まだ命のある人に対してやるべきことがある
フランス文学者でもある小説家、堀江敏幸氏の言葉を紹介。ヨーロッパの香りただよう彼の文体は知的で、かつ誠実で、凪いだ海を思わせる。静かだけれど奥が深く、視界はどこまでも広い。見知らぬ街の風をのせて静謐な言葉の波が打ちよせてくる。著書『その姿の消し方』のラストシーンにこの言葉はあった。
アルバムを開いて思い出に浸るように、
前を向くために、後ろを振り向かなければいけないときがある。
一歩を踏み出すための後退。
ときにはそういう時間も必要だろう。
けれど思い出に浸かり過ぎてしまうとアブナイ。
過去の呪縛に絡め取られてしまう。
心地いいものであればあるほど。
過ぎ去った時間は輪郭をたどることはできても、まったく同じものを手にすることはできないのだ。
霞を食べて生きることはできないように。
生きていくには、リアルな食べ物が必要。
ないものを探し回って死んでしまうより、目の前にあるものを食べて生きなければ。
「生きている」という現実は、過去ではないのだから。
生きているなら、1つでも2つでもできることはあるはず。
大きなことじゃなくても、立派なことじゃなくても。
「もう時間がない。不在の詩人の記憶を掘り起こすより先に、まだ命のある人に対してやるべきことがある」
幻の「詩人」探しで出会った老翁の命が短いことを知った主人公は、彼がまだ命あるうちに励ましの手紙を書くことを思い立つ。
我が子もろとも釜茹でにされたという石川五右衛門の、小さな命が失われないようずっと両手で持ち上げていたという口碑を信じるといって、
「そんなふうにして守らなければならないものが、この世にはあるのだ」
と胸の内を晒す。
命は架空のものじゃなくリアルそのもの。
その命に対してできることはなにか。
それを考え行動することが「生きる」ということじゃないだろうか。
(200223 第619回)