困難に立ち向かってこそ、自分の潜在能力に気づく
パリの国際空港にもその名を残した、フランス18代大統領シャルル・ド・ゴールの言葉を紹介。第二次世界大戦で本国フランスの陥落後、ロンドンのロレーヌ十字の自由フランスを樹立し、レジスタンスと共闘したド・ゴールは臨時政府で最初の首相となり、後に大統領に就任した。「246種類ものチーズがある国をどうやって治めるというのかね?」という有名なセリフは、この言葉を裏付けるものだろう。
人生には、なぜ苦しみや悲しみがつきまとうのだろう。
2000年以上も前に生きた仏陀の疑問は、そのまま現代に生きるわれわれの疑問と重なる。
人生は四苦八苦。
人は、なぜ生きるのか。
避けられない死とはなんなのか。
人類史が続く限り、永遠に終わらない問いかけだろう。
宗教に見る命の意味や、人生の意味は、ときとして残酷に思えることもある。
どんな出来事にも意味があり、意味のない苦しみも悲しみもないのだといって。
だけど、本音を言えば、誰だって辛いことや悲しいことはできれば避けたい。
苦しいことなどしたくないし、痛いことも遠慮したい。
しかし、そうできない現実があるのはなぜだろう。
自ら蒔いた種によって、あるいは避けられない出来事によって、
辛く苦しい現実がやってくるのはどうしてなのか。
「もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう」
と言ったのは、ヘレン・ケラー。
目も見えず、耳も聞こえない彼女が経験した苦労は想像にも及ばないが、おそらくそういう側面が生きる意味にはあるのだと思う。
秘められた力。
1割ほどしか使われていない能力以外の潜在能力を開花させるために、苦難や困難がやってくるのだとしたら。
人生に起こる辛苦は、宝のありかを知らせる暁鐘。
その鐘の音を、しっかり受け止めれば眠った力が目覚めるはずだ。
そう思って世の中を見渡せば、
世界中で暁鐘の音が鳴り響いている気がする。
眠れる力を揺り起こそうとするかのように。
怖がらず、耳をすましてほしい。
秘められた力があるから、だいじょうぶ。
人間はそんなに弱くない。
今回は、「あわい」を紹介。
間と書いて「あわい」。古典読みなら「あはひ」。音の響きからでしょうか。「あいだ」と読むより、やわらかい感じがしませんか。続きは……。
(200322 第626回)