「恐ろしい」と思える事柄を、毎日のように君の眼前に置くようにするがよい。
古代ギリシャ・ストア派の哲学者、エピクテトスの言葉を紹介しよう。奴隷の両親のもとに生まれ、奴隷としてスタートをきった彼の人生は、まさに荒地に城を築くようなものだっただろう。神の手によるものと人の手によるものを見極めれば、人生はうまくいくことを彼の生き方が教えてくれる。
何げない毎日がつづくことがどれほど幸せなことかを実感するのは、
あたりまえの日常に暗雲が垂れ込めたときではないか。
病気、事故、災害、あるいは人災などで想定外の出来事に遭遇したとき、
これまでの何気ない日常が、とたんに輝きを増す。
穏やかで安穏とした日常はもしかすると、夢か幻ではなかったかと思うほどに。
ナチスの強制収容所から生還した精神科医ヴィクトール・E・フランクルは、著書『夜と霧』の中の最終章をこう締めくくっている。
「人生には、すべてがすばらしい夢のように思われる一日があるように、収容所で体験したすべてがただの悪夢以上のなにかだと思える日も、いつかは訪れるのだろう。
ふるさとにもどった人びとのすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には神よりほかに恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨によって完成するのだ」
そう。
この世には神よりほかに恐れるものはない。
起きることは起き、起きないことは起きない。
あたりまえはあたりまえじゃなく、神の気分によるものだとしたら。
われわれにできることは、ただひとつ。
そのときどきの現状を受け入れ、
一つひとつ問題をクリアしていくこと。
恐れる神が提示するのは「死」。
生きとし生けるものすべてに与えられたゴールだ。
見えないけれど、目の前にあるゴールテープを切るのはあなた。
さて、どうやって、どんな風に、どんな気分で切りたいですか?
今回は、「朧月夜」を紹介。
「おぼおぼ」という擬態語から派生したと言われる「朧(おぼろ)」。ぼんやりと、はっきりしない様子を表しています。続きは……。
(200329 第628回)