私の資本は時間です、お金ではありません。
男子用便器をアートにしてしまったマルセル・デュシャンの言葉を紹介しよう。20世紀初頭、モダニズム時代に旋風を巻き起こした前衛芸術家の一人であるデュシャンは、アンディ・ウォーホルをはじめ、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージ、リチャード・ハミルトンなど、画家以外にも音楽家やスポーツ選手とジャンル問わず強力な影響を与えた。彼らをデュシャンピアンというのだそうだが、写真家の杉本博司氏も自らその一人であることを、著書『苔のむすまで』で告白している。
時間ほど、変幻自在なものはない。
ある人にとっては長く、ある人にとっては短い。
あるときは嫌なものになり、あるときは至福にもなる。
燦々と光が降り注いでいたかと思えば、突如、暗雲たれこめ大雨に変わることも。
人ひとりの内においてもくるくると色を変え、長短を変える変幻自在な時間。
それをアリストテレスは運動と言い、
アインシュタインは、相対的なものだと言った。
春が来て、夏が来て、秋へ冬へと移ろう時間は絶対だが、
その中身に絶対はなく、同じ色に見えて同じものはひとつとしてない。
1年前とも、10年前ともまたちがう。
積み重ねてきた時間は、複雑な色や味を生む。
まるで特製スープのように。
「私は幸せでした。すばらしい幸運に恵まれたのです。一日だって食いっぱぐれることもなかったし、金持ちにならずにも済みました」
デュシャンは、晩年のインタビューで自らの人生をこう振り返ったという。
杉本氏の言葉を借りれば、
「前衛芸術の渦の中にいながらすべての運動から距離を置いて」、一歩さがりながらも実は深くかかわり、「一切のラベルを拒否」したデュシャン。
稀代のアーティストとしての名ばかりが先行するが、その人生は生活の糧を得るための図書館司書として、あるいはフランス語教師として地に足のついたものだった。
「富のもたらす栄光と墜落の冷徹な観察者」でありつづけ、自身は読書にふけり、友との語らいに至福のときを過ごした。
それというのも、
彼の資本はお金ではなく、時間だったからである。
彼自ら作り上げた人生のスープは、さぞ美味しかっただろう。
きっと、琥珀色に輝く香り高い極上のスープだったはずだ。
人生の黄昏時に輝くのは、鈍色の金か、それとも透明な琥珀なのか。
さて、あなたはどんなスープがお好みですか?
今回は、「零れ桜」を紹介。
はらはらと舞い散る桜。零れ桜(こぼれざくら)です。日本人にとって、桜はもののあわれを誘う花。続きは……。
(200419 第633回)