すべてのことは自分が何かを学び、深まるために起こる。
なんども登場していただいて恐縮だが、この非常事態にはお坊さんの力もお借りしたい。禅僧と作家の二足のわらじを履く、玄侑宗久氏の言葉である。『幸せの遺伝子』でおなじみ、分子生物学者の村上和雄氏との対談集『心の力 人間という奇跡を生きる』の中で、禅について語ったあとの言葉だった。
この世で起こることはすべて、起こるべくして起こるとは、スピリチュアルな世界ではよく言われる。
信じる信じないにかかわらず、おそらく誰の胸中にもある思いではないだろうか。
そうはいっても…。
と、言いたくなる現実があるのも事実。
しかし「今」を眺めたとき、
「ああ、あのことがこのことに」
と、過去の点が今の点につながっていることに気づくことがある。
スティーブ・ジョブズも言い遺している。
未来を先回りして点と点をつなげることはできないが、点と点は必ずつながっていると。
玄侑氏いわく、
禅では時間を連続したものと考えることはなく、一生のうちのピークも特定はしない。
だから、毎年毎年、待ちに待った最高の年が来たと考える。
そう考えれば、自分の人生に自分で勝手に物語をつけて不自由にする必要もないではないか。
「自分には“すでにすべてが与えられている”ということ、
そして“すべてのことは自分が何かを学び、深まるために起こる”ということを自覚して、常にどう変わるか分からない今を尊く生きることが人生の大切なテーマになるのだと思います」
進化し続ける宇宙と同じように、自分も進化し続けて、死の間際に最高潮に達するのだ、と玄侑さんは確信しているそうだ。
だから生きることが楽しみなんだと。
時間は連続性のもではないとする禅の思想。
過去の点と今の点が未来につながるとするスティーブ・ジョブズの提言。
まったく正反対のようにみえて、実は同じ。
「今」という時間を尊く生きる。
変化し続ける「今」だから、
二度と戻らない「今」だから、
未来を先回りして一喜一憂するのではなく、
今という点が未来につながっていると信じて、
「今」に学び、「今」を深めていけばいい。
人は産まれながらにして、
足りないものもなければ、失うものもない。
すでにすべてが与えられているのだ。
今回は、「零れ桜」を紹介。
はらはらと舞い散る桜。零れ桜(こぼれざくら)です。日本人にとって、桜はもののあわれを誘う花。続きは……。
(200427 第635回)