祈りは神を変えません。私を変えるのです。
シスター渡辺こと、渡辺和子さんの言葉を紹介。ノートルダム清心学園の理事長だったシスターの尊父は二・二六事件で非業の死を遂げた渡辺錠太郎陸軍中将。わずか1メートルほどの距離で父親が殺害される姿を目撃したシスターは当時、まだ9歳の少女だったという。その少女が後にシスターとなったのは、必然であり、神の思し召しであろう。
ある主婦の話をしよう。
体の不具によって学校もろくに出ていなかった彼女は若くして嫁ぎ、嫁ぎ先では女中のような扱いで苦労の連続だった。
体の不具ということで両親からは甘やかされたこともあり、わがままなところがあった彼女は、ことあるごとに姉たちに愚痴を言った。それでも家族の反対を押し切って一緒になったのだから、姉たちも相手にしない。
彼女は、涙をのんで一途に家事に努めた。
罵られようと、バカにされようと、ひたすら家族のために働いた。
とりわけ掃除には尽力した。
黙々と掃除に精を出す姿は、神々しくさえあった。
神仏への祈りも毎日、欠かさなかった。
なにを祈っていたのかはわからない。
のちに彼女が言うには、家族円満の祈りだったそうな。
嫁いで50年余となる。
その間、掃除と祈りは一日たりとも欠かしたことはない。
若かった彼女も今ではすっかり年老いた。
いまだ続く掃除と祈りは、彼女の生きがいとなっている。
彼女にとって掃除は祈りであり、祈りによって己の魂が慰められているのだろう。
「祈りは神を変えません。私を変えるのです。私たちが祈りさえすれば神はきいてくださると思うのは、必ずしも正しくありません。
……私は『欲しいもの』を願うけれど神は『要るもの』をくださるのです」
シスター渡辺の言うように、祈りは祈る人を変えてゆく。
祈るように掃除をし、魂を鎮めるように祈りつづけてきた彼女はたしかに変わった。
そして彼女の変化と同調するように、その周辺も良き方向に変わっていった。
彼女が変わったから、周りも変わっていったのだ。
彼女が本心から願ったものはわからない。
たしかに言えることは、彼女の願いは神仏に届いたということ。
魂を慰め、成長に必要なものを、神仏は与えたのだろうから。
今回は、「藤浪」を紹介。
小さな紫の花房が風にたなびいている姿が波を思わせたのでしょう。続きは……。
(200612 第646回)