上手に書こうとしない
スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫氏の言葉である。といって、これが彼の持論かというと、そうではない。良寛さんの書を見て出てきた言葉だ。著書『禅とジブリ』の中で、龍雲寺住職の細川晋輔和尚と良寛さんの書を見ながら語り合っている場面でのこと。これがどうして「ちからのある言葉」なんだと、訝る人もいるだろう。が、まあ、ちょっとおつきあいを。
ひとまず、良寛さんの書を前に語らう鈴木氏と細川和尚の様子をのぞいてみよう。
細川 「白隠さんと良寛さんは書いた理由がぜんぜん違うような気がするんですよね。白隠さんは布教の手段として描いていたと思うんですが、良寛さんは決してそうじゃない。
……『誰のために』『何のために』という気持ちがないような気がします。自分に対して書いているのに、人に感動を与えられるというのが、良寛さんのすごいところでしょうね」
鈴木 「上手に書こうとしない。だからこの人の字は難しい」
良寛さんといえば、子供のような人という印象があるだろう。
なのに、人を魅了してやまないのはなぜなのか。
子供のような人だからである。
子供の無邪気さは、かちかちに固まった大人の心を和ませる。
良寛さんは、そんな人。
「天才は子供の心を取りもどした大人」と言ったのは、フランスの詩人ボードレール。
子供のように無邪気にものごとに取り組んでいれば、自分も楽しいし、見ているほうも楽しいだろう。
子供のように夢中になれば我も忘れる。
上手くなくていい。
むしろ、上手くないほうがいい。
上手くなってしまえば人目も気になり、忘我からはほど遠くなってしまう。
生き方もおなじ。
上手く生きようとするから、人目が気になりしんどくなるのだ。
人生のストーリーを上手に書こうとしなくていい。
下手でいいじゃないか。
上手になって見下すよりも、
下手で忘我に取り組めばこそ、
見上げる空は大きく、光に満ちていることを感じられるのだから。
今回は、「五月雨」を紹介。「さみだれ」です。梅雨の季節に東北を旅していた松尾芭蕉も――五月雨を集めて早し最上川 と詠んでいます。続きは……。
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(200616 第647回)