物事は〝できる〟という前提で考えます。
和紙デザイナー、堀木エリ子さんの言葉を紹介。勤務先で出会った和紙職人の仕事に魅せられ、まったくの素人にもかかわらず25歳で和紙職人の世界へ飛び込んだ堀木さん。美大出身でもなく、師匠がいたわけでもない。ただ「伝統職人たちの尊い営みを伝え残したい」という情熱を胸に、和紙と自身の新境地を切り拓いてきた。その積極的な行動は「できる」という思いに支えられているという。
ふと思うことがある。
なぜ命はつながってきたのか。
なぜ地球は何十億年も存在するのか。
なぜ世界は危うくも今日まで続いているのか。
破壊と創造、あるいは再生の連続のなかにあって、今も伝え残っているものにはどんな訳があるのか。
なぜ今ここに生きているのか、と。
そうしてようやくわかった。
いまあるすべてのものは、「できる」という可能性でここまでたどり着いたということに。
かなしくも「できない」ものは、消えていったけど。
「できる」ことを知るために「できない」ことを知ることは必要だし、
だれもが「できない」から「できる」ようになってゆく。
だとしたら、「できる」は「できない」で支えられているということじゃないか。
「できる」と「できない」はワンセットだけど、そのときに選べるのはひとつだけ。
「できる」と思えばできるし、「できない」と思えばできない。
人生一度きり。
こんな危うい世の中で生きていられるだけで奇跡だろうし、
生かされているのには、なにか理由があるかもしれないから、
堀木さんのように、気持ちひとつで広がる可能性を選んでみるのもいいのでは?
今回は、「雲の鼓」を紹介。雲に鼓とくれば、鬼。「風神雷神図屏風」の雷神が浮かびませんか。そのとおり、「雲の鼓(くものつづみ)」とは「雷」のこと。続きは……。
https://www.umashi-bito.or.jp/column/
●「日日是食日」連載中</p
(200803 第657回)