むくいねば。むくいねば……。
北海道の大地で酪農を営む元羊飼いの小説家、河﨑秋子のデビュー作『颶風の王』にこの言葉はある。明治の開拓期に東北から北海道へ移り住んだ捨造の、馬に生かされた運命と、その恩恵による命のリレーが描かれたこの作品。閉塞感ただよう今こそ読んでほしい一冊である。命を繋いでくれた先祖たちへの思いが募るはずだ。
「俺は。俺の家は。馬に生かされたんだ。報いねばなんねえ。報いねば……」
おじじ捨造は、孫の和子の無責任な行いに怒りをあらわにした後、呪文のように「報いねば」と繰り返した。
信頼して馬の世話を任せていたのに、嵐の前に馬たちをすべて小屋へ連れ戻すはずが、和子は迷子になった一頭を探さず放置したまま家でくつろいでいたからだ。
馬を探しに家を飛び出した和子の耳に、おじじの言葉がリフレインする。
「むくいねば、むくいねば……」
捨造は、馬のおかげでこの世に生まれた。
母親が彼を身ごもっているときに馬と一緒に雪山で遭難し、その馬の肉を食べて生きながらえたおかげで。
そのことへの「むくいねば」なのである。
犠牲になってくれたことへ「むくいねば」。
命をつないでくれたことへ「むくいねば」。
生かされたことへ「むくいねば」。
いま生きていることへ「むくいねば」。
捨造の思いは子々孫々へと受け継がれてゆく。
だれにも「むくいねば」ならない先祖はいるだろう。
先祖にかぎらず、身近にも報いたいと思う存在はいるのではないか。
むくいねば、むくいねば……。
呪文のように唱えていれば、ほんとうに必要なやるべきこと、生きる目的が見えてくるかもしれない。
今回は、「草いきれ」。夏草の生い茂る炎天下では、熱気ととともにむせ返るほど草が香ります。これが「草いきれ」。続きは……。
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(200815 第660回)