私たちがいつもお腹を空かせているのは、ただ単に鑑賞力が欠除しているゆえでしょう。
芸術家というのは創作ができる人だけを言うのではないのだと、彼を知ってそう思った。岡倉天心。アーティストではなく美術運動家として近代日本美術の発展に尽力した、真の美の巨人である。明治期に出版された名著『The Book of tea(茶の本)』にあるこの言葉は、その後の日本を予言するかのようではないか。
むかしむかし、あるところに、まずしい兄妹がいました。
クリスマスイブの夜のこと。
ふたりのところに魔法使いがやってきて、あるものをさがしてくれと頼みました。
ふたりは、探しものを見つけるために、長い長い旅にでました。
死んだはずのおじいさんとおばあさんがいる「思い出の国」。
病気や戦争など、いやなものがたくさんある「夜の御殿」。
「ぜいたくの御殿」や生まれてくる赤ちゃんのいる「未来の国」にも行きました。
探しものはどの国にもあったのですが、ふしぎなことに、持ち帰ろうとすると姿を変えたり消えたりして、みんなだめになってしまいます。
がっかりして落ち込んでいると、
「さあ、おきなさい。きょうはクリスマスですよ」
おかあさんの声に、ふたりは目をさまします。
そう、かれらは夢を見ていたのです。
ふと部屋をみわたすと、鳥かごのなかに青い羽がありました。
「なあんだ。ぼくたちのかっていたハトがそうだったんだね。しあわせの青い鳥は、ぼくたちの家にいたんだね」
チルチルとミチルの兄妹が幸せの青い鳥を探して旅にでる夢物語、メーテルリンクの『青い鳥』である。
岡倉天心がいう「お腹をすかせた人」というのは、チルチルミチル兄妹とおなじではないだろうか。
見わたせば宝物はすぐそばにあるというのに、それを見ようとしないのは、なんとももったいないこと。
「頑ななまでの無知ゆえか、私たちは芸術家に対し、この簡単な礼儀さえ尽くすことを拒みます。その結果、私たちは眼の前に広げられた、贅沢なごちそうさえ失ってしまうのです」
優れた芸術家はいつも提供できる何かをもっているのだから、その気持ちを本気で学ぼうとさえすれば手に入るのだと、天心は言う。
芸術家とは、あらゆる分野のプロフェッショナルなものであり、大自然であり、そして、自然の一部であるわれわれ一人ひとりでもある。
ひとつひとつをじっくり眺め、たしかめ、味わうことで、感動は深まる。
全身全霊が感動に包まれることだろう。
本気で見よう、感じようとすれば、きっと青い鳥は姿をあらわす。
この世界に、じぶん自身のなかにさえ。
今回は、「夜振火」。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」です。続きは……。
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(200828 第663回)