見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。
『沈黙の春』で知られるレイチェル・カーソンの言葉を紹介しよう。友人からの一通の手紙をきっかけに生まれたと言われるこの名著は、農薬使用が盛んだった1962年、世界に先駆けていち早く環境問題を取り上げたことで大反響を巻き起こした。海洋生物学者でもあった彼女が訴えようとしたのは、この美しい地球に息づくすべてのものを全身で感じてほしいということだった。それが環境問題を解決する一番の良策だからと。絶筆となった『センス・オブ・ワンダー』にあるこの言葉が、それを証明している。
もしも明日、世界が終わるとしたら。
最後に目にするものは、なんだろう。
もしもこの命が、あとわずかだとしたら。
末期の目に、この世界はどう映るだろう。
もしも明日という日が、永遠に来ないとしたら。
いまこのときを、どう感じるだろう。
そして、もしもふたたび、この世界にもどってくるとしたら。
どんな景色が広がっているだろうか。
歴史に「たられば」は無意味だと言われる。
しかし、現実に「たられば」は意味をもつ。
「もしも〇〇だったら」「こうすれば〇〇なのに」と、現実の「たられば」は希望を語る。
それが未来をつくることも、過去を変えることも知っているから。
レイチェルは言う。
「わたしたちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。しかし、目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです。見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです」
もしもこれが、いままでに一度も見たことがないものだとしたら?
もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?
差し出されている現実はたったひとつ。
その目に映る景色は今の自分の心象で、
聞こえてくる音は今の自分の鼓動ではないだろうか。
今回は、「夜振火」。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」です。続きは……。
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(200901 第664回)