自分の仕事を「はたらき」と「かせぎ」の要素に分けよ
火山学や地球学を専門とする地球科学者の鎌田浩毅氏。現在は京都大学の教授も務める彼の著書『座右の古典』で、フィリップ・ハマトンの『知的生活』が紹介されていた。そのハマトンの仕事観を鎌田氏がわかりやすく要約したのが、これである。ハマトンの『知的生活』は、知の巨人だった渡部昇一も愛読した書で、彼が翻訳も務めている。
人生において、もっとも重要で、もっとも大きな喜びを与えてくれるものをあらためて考えてみると、行き着くのは「働く」ことのような気がする。
では「働く」とは、どういうことか。
ある人は報酬のある「仕事」というだろうし、
ある人はボランティア精神も含めた「はたを楽にすること」というかもしれない。
そのどちらも「働く」ことに間違いはないと思うが、
もっと言えば、「生きがい」とも言い換えることができるのではないか。
「生きがい」を感じる人の特徴を、ハンセン病患者の治療に尽力した医学博士の神谷美恵子はこう語っている。
「自己の生存の目標をはっきりと自覚し、自分の生きている必要を確信し、その目標に向かって全力をそそいで歩いているひと––––いいかえれば使命感に生きるひと」
そして、そういう人は「世のなかのあちこちに」いて、目立ったことをするわけでもなく、「むしろ人目につかないところ」で粛々と働いているという。
まるで心臓や肝臓、腎臓といった、臓器のように。
「はたらき」とは、きっとそういうもの。
目に見えなくても、誰に気付かれなくても、それが機能し、命を生かしているものだろう。
一方、「かせぎ(稼ぎ)」は「禾」へんに「家」と書くように、食べていくための手段である。
「誰でも生きていくために『かせぎ』を無視することはできない。人間にとって不可欠なものであるが、時には自分にとってあまり意味のない仕事であったりもする」と、鎌田氏。
ところが「はたらき」には、別のもっと大きな意味があるらしい。
自分の仕事が社会の中で、なんらかの役に立つということ。
社会や人へ貢献しているという手応えは、人を生き生きとさせるということ。
そうやって努力しているときに、目の前の仕事は自然と「はたらき」になるのだ、と。
「はたらき」はじゅうぶんな報酬を得られないこともある。
だとしても、お金にはならなくとも自分にしかできないことを成し遂げた時の満足感、それが役立った時の喜びは何ものにもかえがたい。
そうなるために「かせぎ」で得たお金は、「知的生活」のために投資してはじめて「生き金」になるという。
生きている以上、生き物の「はたらき」は止まらない。
社会の「働き方」改革は始まったばかり。
まずは、「かせぎ」が「はたらき」に変わるような働き方(生き方)を目指してみよう。
今回は、「夜振火」。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」です。続きは……。
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(200920 第668回)