時間のなかに立ちどまることは、黙ることだった
思うに、詩人長田弘は樹々と親密な関係だったのかもしれない。遺された詩や随筆には、たびたび樹木が登場する。じっと耳を傾けて樹々の語らいを聴く長田。そんな彼に心を許して饒舌になる樹木たち。樹のことばを聴くために、長田はいつも黙って樹を見上げたという。『空と樹と』のあとがきに書いてあった。
ものごとが急速に進んでいる。
立ち止まっていては置き去りにされるとばかりに。
アインシュタインの説いた「高速で動けば時間は遅れる」という特殊相対性理論を盾に、時を稼ごうとしているのだろうか。
その証拠に、技術のめざましい進歩によって人の寿命も長くなった。
ますます技術革新は急速になっているけれど、はたしてその先は何が待っているのだろう。
この世に光よりも早く動けるものはない。
物質は速く動けば動くほど重くなるのだから。
かの有名な数式、E=mc2(エネルギー=物質の質量×光速の2乗)が原子爆弾を生み出したのは周知の事実。
だとすると、急速な技術革新と寿命の延長はエネルギーを膨張させ、地球を崩壊させてしまうのではないだろうか。
現に世界はエネルギーのぶつかり合いで、今にも爆発しそうである。
速くても遅くても光の速さは変わらないというのに、我先にという思いが、相手の声に耳を傾けることをさせなくなってしまった。
焦りや苛立ち、あるいは息苦しさはもしかすると、膨張し続けるエネルギーによる圧迫かもしれず、それは同じ命ある生き物たちや地球からのSOSではないか。
大地とつながり天空と交信する樹々たちに聴いてみればわかるかもしれない。
たとえば長田さんのように立ちどまって、
空の下で、樹のことばを、聴くように見、見るように聴いてみれば。
「樹の下に立ちどまることは、時間のなかに立ちどまることだった。時間のなかに立ちどまることは、黙ることだった。黙ることは、聴くことだった。聴くとは、樹のことばを聴くことだった。樹のことばを聴くことが、樹を見ることだった」
ときには黙って聴いてみよう。
どこからか切なる声が聴こえてくるかもしれない。
今回は「身に入む」。秋の季語にある「身に入む」、「入」を「し」と読ませて「身にしむ」です。続きは……。
https://www.umashi-bito.or.jp/column/
(201026 第676回)