上を見て生きるんや。下を見て暮らすんや。
1961年のトリスウヰスキーのキャッチコピー「人間らしくやりたいナ」を手がけた、作家、開高健の言葉である。戦後の高度経済成長期のただ中で、いち早くその違和感をウヰスキーのコピーにして社会に提示した開高健の先見の明に驚く。今ではだれもが頷くだろう。彼が危惧した社会になってしまったことを悔やみ、人間らしさを取り戻そうとする動きもあるのだから。
この言葉に出会ったとき、なぜかミレーの『落穂拾い』の絵が浮かんだ。
収穫後の畑に落ちている稲穂や穀物を拾い集める野良着の農婦を描いた、ミレーの代表作の一枚である。
彼女たちの後ろには農園の地主と小作人がどっさりと収穫物を積み込んでいる様子が描かれており、その収穫でこぼれ落ちた落穂を困窮する貧しい農婦たちが腰をかがめて拾い集めるという、貧富の差の象徴ともいえるこの絵は発表した19世紀当時も物議を醸したようだが、そういう詳細はともかく、背景の空の明るさが不思議と彼女たちの苦渋を慰めているような気がしてならない。
ミレーの眼差しが慈悲にあふれているからなのか、彼女たちへの希望すら見える。当時の階級社会ではありえないことなのだろうが、それでも光はまんべんなく地上を照らすのだと気づく。
現実には地主たちが「主」で、農婦たちが「従」になるはずだが、この絵に限って言えば、農婦たちが「主」で、地主たちが「従」。
あくまでもミレーは農婦たちにスポットを当てている。
これをそのまま引き寄せて考えてみると、開高健の言葉が浮かび上がる。
「上を見て生きるんや。下を見て暮らすんや」
言志四録にもある「志は高く、身は低く」という生きる姿勢だ。
落穂拾いの農婦たちに志があったかどうかはわからない。
それでも、家族のため、子供たちのために必死に生きる糧を求めたことは確かだろう。
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今回は「面映(おもは)ゆい」を紹介。なんとも照れくさい、気恥ずかしい。鏡を見ずとも頬の赤らみがわかる。そんな様子が「面映ゆい」です。続きは……。
(201207 第686回)