ここはわたしが自然からほんの少しだけ借りた場所よ
自然と手作りを愛した絵本作家、ターシャ・テューダーの言葉である。ガーデナーの先駆けとしても知られている彼女の庭は季節の花々で彩られ、亡くなった今も多くの人が訪れるという。晩年、体の衰えを感じたターシャが、庭の修復に訪れた息子にこう語ったそうだ。何十年もかけて作り上げてきた自慢の庭に、別れを告げるように。児童向け学習伝記漫画『ターシャ・テューダー』の中にあった。
「いちばん奥の石垣がまたくずれかけてる。すぐ直すよ」(息子)
「あれはもう直さなくていいわ」(ターシャ)
「どうして?」(息子)
「わたしはもう、この庭をじゅうぶん楽しませてもらったわ。
だからね…ここらで庭をすこしずつ自然に返そうと思うの」(ターシャ)
「庭を自然に返す?」(息子)
「そうよ。ここはわたしが自然からほんのすこしだけ借りた場所よ。それをこの土地の精霊にお返しするの」(ターシャ)
この場面を読んで、ああそうか、と深くうなずいた。
いつから人は自然を自分のものと勘違いしてしまったのか、と。
土地も家も、あるいは公共の場やこの国も、そして自分自身でさえ、自分のものではないだろうに、ずいぶん勝手気ままに手荒なことをしてしまったと。
借家に住むとわかるが、できるかぎり傷はつけず、返すときは綺麗な状態にしておこうと思うものだ。
本でもなんでも、人から借りたものは丁寧に扱うだろう。
ところが、買って自分のものになったとたん、最初こそ綺麗に使っても、しだいに手荒な扱いをするようになったり、独占的になることも。
それが結果的に「自分さえ良ければ」という意識に変わってしまうのかもしれない。
魂の宿るこの体は天からの借り物だとよく言われるが、借りているのは体だけじゃない。
家や土地はもちろん、あるく道も食べ物も、この地上にあるすべて、水や空気でさえ自然から借りているものだと思えば、手荒なことはできないはず。
与えられた命を、この地上でいっとき生きるために、体を借り、暮らしに必要なもの、成長に必要なものを借りているのだから。
ターシャの言葉が、それを教えてくれる。
一生を自分らしく愉しく生き切るために、必要なぶんだけ自然から借りているのだ。
いつか自然に還すときは、なるべく綺麗な状態で返したい。
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今回は「たなごころ」を紹介。手と手を合わせる合掌の「掌」が「たなごころ」。手のひらのことです。続きは……。
(201211 第687回)