本当に価値あるものは見えにくい
2000年の成人の日からはじまった、新社会人に向けたサントリーの新聞広告「二十歳の君へ」。作家の伊集院静氏によるこのメッセージは、継続年数20年を越した。スタート当時の若者ももう40歳余。もしかすると、親子2代でこのメッセージを受け取っている人もいるかもしれない。毎年生まれる初々しい成人たちに、伊集院氏は年に一度手紙をしたためる。著書『伊集院静の「贈る言葉」』から抜粋した。
世の中にこれが正解ということがないように、価値というものも、どこか危うい。
人によって、時代によって変動する価値を、一定に据え置くのは至難の技。
それでも人は「価値」というものに価値を置く。
とりわけ誰もが納得するもの、はっきりと見てわかる、聞いてわかるものに価値を見出す。
価値あるものが市民権を得、そうでないものは排除されてしまうのだ。
はたして、価値とはなんなのか。
伊集院静氏は「君の目に映るもの。」と題して、若者にこうメッセージを贈る。部分的に紹介しよう。
「…二十歳の君の目には、今、何が見えますか。大人は、社会はどんなふうですか。
…生きる価値を『勝ち組』『負け組』などと下品な言葉で判別し、金が儲かるなら何をしてもいいと嘯(うそぶ)く輩がいる。
金がすべてなら君たちが子供の時に読んだり、聞いたりした絵本や、詩や、音楽は世の中にはいらなくなる。
これまで君の目はたしかなものを見てきたはずだ。
……二十歳の視野は無限にひろがっている。…晴れの日ばかりじゃない。…光が見えない時もある。
そうなんだ。本当に価値あるものは見えにくいんだ。
だから目を大きく見開こう。きっと見える。……」
そして伊集院氏は、若者に価値あるものの見方を伝授して筆を置く。
「見るための一歩は、自分が一人だと知ることだ。孤独と向き合うことだ。そこで見えたもの、出逢えたものに人生の肝心はある」
われわれの命を動かしているものは、なんだろう。
草花を咲かせているのは、樹々を繁らせているのは、作物を、生き物を産み育てているものとは、いったい……。
価値があると信じ手にするものの向こうには、どんなドラマがあるのだろうか。
目に見えるもの、聞こえるものの奥深くに、ほんとうに価値あるものが、ひっそりと輝いている。
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(210208 第700回)