天我材を生ず 必ず用有り
唐の詩仙、李白の詩句である。漢詩『将進酒』の中のこの一句はとくに有名で、座右の銘にする人も多いらしい。儒教的な教示として引き合いに出されることもよくある。李白自身が「デキた人」でなかっただけに、共感を呼ぶのかもしれない。生前の李白は社会の「落伍者」だったというから、この歌を詠んだ心境もわかる気がする。
君見ずや…で始まる『将進酒』。少し長いが途中まで原文のまま紹介しよう。
君不見黄河之水天上來
奔流到海不復回
君不見高堂明鏡悲白髮
朝如青絲暮成雪
人生得意須盡歡
莫使金尊空對月
天生我材必有用
千金散盡還復來
烹羊宰牛且爲樂
會須一飲三百杯
君は見えるかい。天から降ってきた黄河の水も、海へ流れれば二度と戻らないんだよ。
富貴な人だって鏡に映る自分の白髪頭を見て、朝には黒髪だったのに夕べには白くなっていると言っては嘆いているもんなんだ。
だから人生をありのままに受け入れて楽しめばいい。
せっかくの酒を空しく月に向き合わせてどうする。
天が私(君)を生んだからには必ずなすべき用がある。
金は使い果たしてもまた戻ってくるさ。
だからそんなことは気にせず、肉でも食べて楽しもうじゃないか。
いっぺんに300杯は飲むくらいの気持ちでさ。
ざっと、こんな意味になるだろうか。なんとも楽観的な詩である。ヤケクソな感じもしないではない。
それほど李白も思いつめていたのだろう。
詩の仙人といえど、やはり人間。
人生に迷い、悩み、その生の意義を見出そうともがいていたにちがいない。
それゆえ、命のかぎり生を味わい尽くそうとしたのかもしれない。
技術の進歩、発展により一見人間も変化しているように思われるが、そんなことはない。
脳の仕組みは太古のそれと、ほとんど同じだそうだ。
機械化、デジタル化が進むにつれ、人間の存在証明は以前にも増して問われるだろう。
そうなれば、生きることに疑念を抱く人はさらに増えることは目に見えている。
そんな人たちに、李白ならきっと言うはずだ。
「天が君を生み出したんだからさ、ちゃんと用はあるんだよ。〝君じゃなきゃダメなんだ〝ってことがさ」
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(210212 第701回)