人はいつか必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです
村上春樹氏の短編集『レキシントンの幽霊』の中の『沈黙』という短編で、この言葉を見つけた。
主人公の「僕」が、取引先の「大沢」という誠実で物静かな男に「これまで喧嘩をして人を殴ったことがあるか」という質問で物語は始まる。中学からボクシングジムに通い続けているという意外な一面を、大沢がふと漏らしたことがきっかけだった。静かに語られてゆく大沢の過去に、勝敗のほんとうの意味を知った気がする。
ボクシングを気に入った理由のひとつを、大沢は「そこに深みがあるから」と言い、そのあとにこう続けた。
「人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解できていれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしません。人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。人はいつか必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです」
その深みに比べれば、殴ったり殴られたりという勝ち負けは単なる結果にすぎないのだ、と大沢は言う。
人はなぜ、勝ち負けにこだわるのか。
それは動物の本能なのかもしれない。
野生の生き物たちがそうであるように、強いものが生き残り、弱いものは死ぬことを、人間は本能的に知っているのだ。
自然界において勝つことは「生」であり、負けることは「死」を意味する。
ところが人間はちがう。
知恵を獲得したことにより、勝敗がそのまま生死につながることはなくなった。
それでも本能に組み込まれた弱肉強食、優勝劣敗のシステムは作動する。
キリストやブッダが誕生したのは、野生のままのヒトを理性の人間へと導くためだったと考えれば、納得もいく。
「ある種の人間には深みというものが決定的に欠如しているのです。……僕が言いたいのは、その深みというものの存在を理解する能力があるかないかということです。……どれだけ他人の目を引こうと、表面で勝ち誇ろうと、そこには何もありません」
大沢の言う「深み」は、負けることでしかわからないという。
著者の村上春樹氏は、別の場所で理想の「負け方」をこう語っている。
「どうせ負けるなら、かっこよくスマートに負けたいじゃないですか。僕はそのために日々、ささやかに努力を続けています」
ラジオ番組「村上RADIO」に寄せられたリスナーからの「受け入れがたい現実を受け入れる術は?」という問いへの回答だった。
村上氏は自身の老いとの対峙と40年近く続けているフルマラソン出場を例にあげ、
あなたも何かひとつ、うまく負けるための努力をしてはどうか。
そうすれば道は拓ける…かもしれないですよ、と「負」の底にあるであろう抜け穴を見つけるヒントを与える。
今回は「いとしい」を紹介。漢字で書くと「愛しい」。愛しい我が子、愛しい人と、言葉ではうまく言い表せない切ない思いを、人はいつからか「いとしい」と言うようになりました。続きは……。
(210315 第708回)