変わること、それが変わらないための唯一のしくみ
この人の話はとにかくおもしろい。分子生物学者、福岡伸一氏。「生命とは何か」という本質的な命題を、身近なテーマから紐解いてゆく。遺伝子的にみても「ダメな部分」を受容する生命は、ダメなものがあるがゆえ更新し続けバランスを保つという動的な平衡で成り立っていると福岡氏は考える。
西洋が石の文化というのに対し、日本は木の文化だと言われる。
20年ごとに社殿を新築する伊勢神宮の「式年遷宮」が、その代表だろう。
飛鳥時代から実に1300年以上にわたり繰り返し行われてきた式年遷宮は、社殿と神宝を新調し御神体を新宮へ遷すという神宮最大の神事である。
自然のうつろいがそうであるように、生命は常にみずみずしさを保ちながら循環しているということを、神々とともに確かめあうのだ。
そして、「永遠に変わらない」ことを、ともに誓う。
永遠に変わらないために、新しく生まれ変わると。
もっとレンズを絞ってみれば、われわれの体も常に変化し続けている。
『幸せの遺伝子』で知られる分子学者の村上和雄氏によれば、細胞は秒単位で生まれ変わっているというし、それもデタラメに入れ替わるのではなく、あらかじめ細胞の死滅はプログラムされていて、ある程度まで分解したものはリサイクルするというシステムが、もともと体には備わっているのだそうだ。
人間関係もそうだろう。
去る人がいれば出会う人もいる。
出会いと別れを繰り返す人生は、それぞれの人生を生きていくための生命の循環ではないだろうか。
夫婦関係や恋人関係も、長くいい関係を続けていこうとすれば、自分を磨き、成長しようと思うだろう。
逆を言えば、ずっと変わらなければ、愛想も尽きる。
福岡氏は、生命は何かと問われたら、躊躇なく「動的平衡」にあるものと定義する。
「動的平衡ゆえに、生命は、柔軟で、適応的で、可変的で、傷つけば回復し、問題があれば修復できる。動的平衡ゆえに生命はこの地球上に出現して以来、38億年の長きにわたって連綿と存続してきた」
誰だって変化は怖い。
どうなるかわからないのだから。
でも、これだけは言える。
成るように成る、と。
今回は「徒然」を紹介。 兼好法師の『徒然草(つれづれぐさ)』、序文冒頭の「つれづれなるまゝに」は有名ですね。日常のふとした瞬間に、つい口ずさんでしまいそうな「つれづれ」は「徒然(とぜん)」とも言い、とくべつ何もすることがなく退屈で、手持ちぶさたな様子のことを表しています。続きは……。
(210328 第710回)