貧の平和は、あなた方の全人格の力をつくしてのはげしい戦いをたたかい抜いてのちに、はじめて得られるものである。
禅の大家、鈴木大拙の言葉を紹介。大拙翁は難解な禅を欧米人にもわかりやすく平易に紹介したとされているが、なかなかどうして、その著書の多くは難解である。が、難解な本ほど時間を置いて繰り返し読むことをオススメする。時が経てば、意外にスルッと頭に入ってくることもある。著書『禅』もそのひとつ。
日本オリンピック委員会の会長を務める柔道家の山下泰裕氏は、現役引退を決意したときのことを著書『背負い続ける力』でこう語っている。
「柔道は格闘技だ。闘志、気力が衰えたら格闘技者としての資格はない。試合場の青畳の上では、死ぬことも覚悟して戦わねばならない。絞め技では相手を殺すつもりで締めあげる。関節技では腕を折るつもりでねじあげる。この気迫を失ったら、もはや戦う資格はない」
これが山下氏の勝負哲学であり、引退を考えたのは、勝負哲学をまっとうできなくなったからだという。
誰かに負けるまで現役を続けるという考え方は、山下氏にはなかった。
引退の決意を恩師に話すと、
「辞めるのはいつでもできる。もう一度だけ考えてみなさい」と返ってきた。
山下氏はじっくり自分と向き合い、気持ちを確かめた。
〝ここで辞めて本当にいいのか? 悔いは残っていないか?〟
そして1985年6月17日。
「精神的に肉体的にも、これが限界と感じ、現役引退を決意しました」
山下氏の心は晴れやかだった。
「自分が目指した柔道からすると、到達したのは八割ぐらいです」
現役を引退するまで、自分の登ってきた道を振り返ったことは一度もなかったという山下氏。
途中で振り返らなかったからこそ、ここまでやってこれた。振り返っていたら、ある程度の目標を達成したことで満足し、さらに上を目指す気持ちも湧かなかったに違いない、と。
鈴木大拙のいう「貧の平和」とは、山下氏の到達した「八割での現役引退」と同じではないだろうか。
貧の平和は、貧しい平和という意味ではない。
全力を尽くしきったあとの満足感。
たとえ目指す頂に登れなかったとしても、じゅうぶんやりきったと思える充足感がそれである。
鈴木大拙も言っている。
怠惰や、放任安逸な心の態度から拾い集めた満足に禅はない。
ただ、懶惰、無為の生があるだけだと。
「戦いは、はげしく雄々しく戦われなければならない。これなくしては、どんな平和が得られたにしても、それは偽物である」
思う存分食べたあとのライオンは、目の前をシマウマが歩いていても襲うことはない。
貧の平和にライオンも熟睡し、幸せな夢を見るのである。
今回は「風光る」を紹介。 うららかな春の陽射しの中をそよ風が吹きぬけると、あたり一面がキラキラと光り輝いて見えます。それが「風光る」。続きは……。
(210413 第713回)