人間と地球が穏やかに生き続けるために、万能の神様は必要だろうか。一輪の花に手を合わせる気持ちの方が、近道に思えてならない
小説家、髙樹のぶ子さんの言葉を紹介。男女の色恋を書かせたら右に出るものはいないだろう髙樹さんの小説は、恋愛に重点を置かれてはいるものの、もちろんそれだけではない。人間の化けの皮をめりめりと剥がし、本質を暴いてゆく。その彼女独特の世界観に嵌まり込むと、そう簡単には抜け出せなくなる。この言葉はエッセイ集『花迎え』のなかの一文。
類人猿が仲間の墓に一輪の花を添えたという話を聞いたことがある。
イスラエルの洞窟で、約1万2000年前の墓が発見され、土から草花の痕跡が見つかったという記録もあるらしい。
陸地を覆う植物が地球上に現れたのは、およそ5億1000年以上も前のこと。
人類が現れるはるか以前から、植物は粛々と生命をつないできた。
そこにどんな意思が働いていたかはわからない。
しかし、あきらかに「生命の存続」というひとつの目的を持っていたことは確かだろう。
その目的を果たすための一要因として、人類は誕生したに過ぎない。
魚や昆虫など、他の生き物たちと同じように。
類人猿も、最古の人類も、かたちあるものはやがて土に還ることを知っていた。
しかし生命はふたたび地上に芽吹くことも、うすうす気づいていただろう。
己の生命が地上にあるうちは、他の生命を喰らうことで生きながらえているのだということも。
他の生命がすべて失われれば、己の生命も危うくなるのだということも。
誰に教えられずとも、生命はそれ自身で「存続の危機」を察知する。
いつからか人類は神々に祈りを捧げるようになった。
神に祈ることで、すべては丸く収まるのだと信じるようになった。
天災は神の怒りと信じ、ますます祈りの声は高らかになる。
神に祈りを捧げないものが神を怒らせ、天災を招いているのだと言わんばかりに。
足を踏み鳴らし、地鳴りを起こし、大地を裂き、天空に怒声と唾を撒き散らす。
そしていつからか、人類は神々の怒りではなく、人々の怒りを生み出した。
人災である。
人災に巻き込まれた生き物たちの悲痛な叫びは、生命存続の危機を知らせる。
病気、犯罪、天変地異、異常気象など、さまざまな方法で。
生まれたての赤ん坊の生命がそうであるように、
足もとに咲く一輪の花の生命はもろく儚い。
しかし、小さく儚い生命が、今もこの地上に芽吹いている奇蹟を考えてほしい。
それは万能の神々のしわざでも、ましてや人類のしわざでもあるわけがない。
生命のけなげな働きなのだ。
手を合わせ、祈りを捧げるべきは、そこではないか。
今回は「風光る」を紹介。 うららかな春の陽射しの中をそよ風が吹きぬけると、あたり一面がキラキラと光り輝いて見えます。それが「風光る」。続きは……。
(210418 第714回)