古いから美しいのではなく、そのものの生れ出た背景と人の心とが結び付いて美しいものが生まれる
人間国宝である染色家、志村ふくみさんの言葉を紹介。自然の恵みを色と糸で紡いでゆく志村さんの織物は、人と自然が一体だったころの姿を思い出させる。おそらくひとつひとつの命はこんな風に多彩で、かたちも手触りも微細にまちまちなのにちがいない。彼女が紡ぐ言の葉の織も、なんとも色彩豊かである。著書『一色一生』から抜粋した。
美しさにおいて、厳しい審美眼を持っていた白洲正子は生前、『美』について著書『美しくなるにつれて若くなる』でこう語っている。
「『美』というものはたった一つしかなく、いつでも新しくいつでも古いのです」
その「つねなるもの」は、大きくも小さくもなる。
子供の描いた絵と、立派な芸術家のそれとでは、美しさにおいて変わりはなくとも、大きさにおいては違う。
人間の美しさも、無知な者と知恵にあふれた者の美しさとでは、どちらが上というわけではなくとも、やっぱり違う。
白洲正子のいう『美』とは、修練された『美』。
それも、おごり高ぶった傲慢な『美』ではなく、初心の心構えで励みつづける変化する『美』である。
つまり、磨かれて磨かれて、研ぎ澄まされた『美』。
老いてただ枯れるのではなく、老いてなお輝きを放つ、無駄なものがそぎ落とされた美しさだ。
たとえていうなら、松柏の古木だろうか。
ごつごつした岩場の岸壁に芽吹き、過酷な自然の力にじっと耐え続け、光とわずかな水を求めて根を張り伸びてゆく松。
凍てつく寒さや日照りつづきにも耐え、落雷に身を削られようとも、強風に根をさらわれそうになろうとも、身をよじり、のたうちながら光に向かって伸びてゆこうとする。
葉を落とし、白骨と化してなお、滅びゆくその日まで、松として一生を遂げる。
その姿はせつないまでに美しく、岸壁にあって神々しい光を一面に放つ。
松柏の古木の美しさは、力強い生命そのものの瑞々しい美しさ。
滅びから生まれる新しい芽吹きをも感じさせる。
古いものが美しいのではなく、かといって新しいものが美しいというのでもない。
古いものも新しいものも、ただそのままでは美しいとはいえない。
玉は磨かなければ輝かないように、
生まれ出た命を慈しみ、生かそうと努力する働きが美しさを生む。
今回は「風光る」を紹介。 うららかな春の陽射しの中をそよ風が吹きぬけると、あたり一面がキラキラと光り輝いて見えます。それが「風光る」。続きは……。
(210424 第715回)