まぁ、いいんじゃない?
「食」に関わる事業を展開する某企業の会長の言葉である。言葉というか、口グセ? とにかく、どんな問題も最後はこの一言で解決してしまう。いや、解決はしない(と思う)。が、なぜか納得させてしまうのだ。『ちからのある言葉』というか、力が抜けそうな言葉だが、まあ、いいんじゃない?
マジメな言葉もいいが、ときにはこんな風に全身の力が抜けそうな言葉もいいんじゃないだろうか。
マジメすぎると肩も凝るし、そもそもニンゲン、完璧ではないのだから。
人間、とくに日本人はマジメすぎるきらいがある。
そのマジメも、かたよりすぎるというか、なんというか……。
智に働けば角が立つし、情に棹させば流されるし、意地を通そうものなら窮屈になると、漱石先生もおっしゃっている。
とかく人の世は住みにくい、と。
そんな気持ちのときは、つぶやいてみよう。
「まぁ、いいんじゃない?」
すると、あらふしぎ。
「まぁ、いっか」という気分になる。
どんな問題も、結局は、なるようにしかならないのだ。
どうあがこうと、落ち着くところに落ち着いてしまう。
禅語に「放下着」という言葉があるが、
これはまさに、
「まあ、いいんじゃない?」という心持ちだろう。
執着も、思慮分別も、なにもかも打ち捨てる。
さらに、捨て切ったという思いすらも手放してしまえ、とエライお坊さんも言う。
華々しい実績や経歴も、時を経ればやがて風化するのだ。
そんなものにしがみついて歩みを止めてしまっては、せっかくの人生も台無しである。
「まあ、いいんじゃない?」
そう言って笑う某会長は、とにかく人生が楽しいらしい。
おそらく、執着心がほとんどないからだろう。
2000人もの従業員を抱えているというのに、まったく風来坊のようである。
しかし、彼の周りに集まってくる人たちに笑顔が絶えないのは、
「人の不幸の上に自分の幸せはない」といって人を心地よくさせているからだと思う。
泣いても一生、笑っても一生。
まあ、自分が好きな方を選べばいいんじゃない?
今回は「踏青」を紹介。 「踏青(とうせい)」とは、文字どおり青きを踏む。春先の萌え出た青草を踏んで野山を歩き遊ぶことです。続きは……。
(210428 第716回)