あせっても春は来ないし、忘れていても春は来る
虫や花など小さな命を愛したプチ・ファーブル、細密画家の熊田千佳慕さんの言葉を紹介。生涯現役で描き続けた千佳慕さんは、なんと98歳にして老眼鏡のお世話にはならなかったそうだ。生前「神様が『もっと描け』とおっしゃっているのかも」と言っていたから、もしかすると神様が自分の眼を千佳慕さんに貸していたのかもしれない。著書『私は虫である』から抜粋した。
「あせっても春は来ないし、忘れていても春は来る」
まったくそのとおり。
そしてさらに、
「自然はきわめて自然である」
と、千佳慕さん。
たしかにそう。
だけど、おそらく、そんな当たり前のことすらニンゲンは簡単に忘れてしまう。
きわめて自然な自然を、ニンゲンが手を入れ、不自然にしてしまうのだ。
簡単に忘れるからか、不自然でもなんでも簡単に結果が得られるものが増えてしまった。
だから、すぐに春が来ないことには、どうにも落ち着かないのだろう。
茶事懐石料理人の半澤鶴子先生は、こうおっしゃっている。
「順序の中には道理がある」と。
自然の理は、順序という道すじに従って動いているということだ。
たとえそうではない道でうまくいったとしても、それはやがて軌道修正されるだろう。
さまざまな災難は、その表れのように思えてならない。
ものごとのスピードの加速が止まらない今、順序という道理すらも見えなくなってしまっているのではないか。
早く進めば進むほど、人間は自然界からはじき出されてしまう。
もう一度、言おう。
あせっても春は来ないし、忘れていても春は来る。
自然はきわめて自然なのだ。
今回は「玉の緒」を紹介。「玉の緒」とは、いのちのことです。玉は魂をあらわし、緒は肉体と霊魂をしっかりつなぎとめる紐のこと。つまり、心と体がひとつになった生命体が「玉の緒」です。続きは……。
(210517 第720回)