「楽しいことをする」のではなく、「することを楽しむ」と、禅では発想する。
ひさびさに玄侑さんに登場いただこう。お坊さんにして作家の玄侑宗久さん。話がおもしろいお坊さんというのは親しみがわく。しかも人間臭いところがいい。禅仏教に関する著書もわかりやすい。この言葉もそう。著書『禅的生活』から抜粋した。
楽しいことを嫌う人は、あまりいないと思う。
できれば毎日、楽しく過ごしたいと思うだろう。
世の中には楽しさをうたう商品も溢れているし、インターネットの普及によって人気商品や楽しさの度合いも目視できるようになった。
実際に自分に合うかどうかは別にして。
情報の伝達も早くなり、それによって楽しさのレベルもどんどん上がっている。
ちょっとした刺激では物足りなくなり、もっと楽しいことはないかと、刺激を求めてあちこち彷徨う人も多い。
でも、「楽しさ」というのは人それぞれ感じ方は違うのだし、そもそも「楽しさ」には大きくわけて2種類あることを知るべきだろう。
食欲や性欲、酒、タバコ、甘いもの、あるいは人との会話なども、その瞬間を満たす刹那的な「楽しさ」であり、すぐにまた欲しくなるという、ちょっとやっかいな性質がある。
一方、もうひとつの「楽しさ」は、達成感といった努力がともなうため、刹那的な楽しさが好きな人には煙たがられるが、長期間喜びが味わえるし、長い目で見ればかなりお得な「楽しさ」なのは間違いない。
おそらく、刹那的な楽しさにはまり込んでいる人の多くは、本当は長期的な楽しさを求めていて、それを探し求めるがゆえに刹那的に終わってしまっているのではないかと思う。
ちょっとやってみたけど、あんまり楽しくないから他を探そう・・・なんてね。
そんな人へ、玄侑さんからひとこと、ふたこと。
「『遊戯三昧』ともいうが、それは『今』に最大限没入して楽しみつくしている状態だろう。
むろんそう言われても現実には楽しいことばかり選んでするわけにはいかないだろう。
だから『楽しいことをする』のではなく、『することを楽しむ』と、禅では発想する』」
やってみたけど苦しいだけとか、病気になってしまったというのはよくない。
だけど、ちょっとだけしかやっていないなら、もうちょっとやってみたら、とも言いたい。
楽しんでやっていたら、いつのまにか楽しい時間が増えているはずだ。
今回は「玉の緒」を紹介。「玉の緒」とは、いのちのことです。玉は魂をあらわし、緒は肉体と霊魂をしっかりつなぎとめる紐のこと。つまり、心と体がひとつになった生命体が「玉の緒」です。続きは……。
(210526 第722回)