「いま・ここ」を本当に感じながら生きるとは、「オリジナル」を生きるということだ
『背徳者ユリアヌス』や『西行花伝』『嵯峨野明月記』などで知られる小説家、辻邦生さんの言葉を紹介。夫人いわく「たえず書く人」だったという辻さんは、まさに努力の人だったらしい。まだ大学教授をしていたころ、夕食後は椅子に座りっぱなしだと居眠りをするからといって、立ったまま読み書きをしていたそうだ。それもひとつのオリジナリティだろう。
「いま・ここ」と言えば、禅の「而今」。
「今」という時を生きることだ。
さらに言えば、
今という時を懸命に生きることだ。
もっと言えば、
今という時を感じることだ。
辻氏いわく、
現代は「オリジナル」を失った時代。
情報という「コピー」が生活圏を支配し、肌をとおして感じることが少なくなった。
スポーツも音楽も、芸術文化、教育、ショッピング、コミュニケーション、あらゆるものが「オリジナル」から遠ざかっている。
さらに今は新型ウィルスの蔓延により、嫌でも「コピー」の世界に頼らざるを得なくなってしまった。
そんな状況の中で、どうやって「オリジナル」を生きればいいのか。
ヒントは「感じる」ことだ。
感じ方は、人それぞれだから。
辻氏はそれを、
「『生命の必要』に密着して生きること」とする。
「空腹になれば食べ、喉が乾けば飲むという単純簡素な生活を『良し』とする状態に戻ること。つまり生の『オリジナル』に戻ることだ」と。
静かに呼吸を整え、体の声に耳をすます。
すると、体は応えてくれる。
本当に必要なものを。
それを何度も繰り返すうちに、
本当に必要なものは、それほど多くないということに気づくはずだ。
なぜなら「オリジナル」は、限度というものを知っているから。
「『コピー』がいかに情報を多く持ち、快適であっても、生命から引き離されている事実は変わりない。どんなに情報が少なく、外面的な快適さが少なくても、『オリジナル』には生命がある」
「いま・ここ」を生きるとはつまり、限界があることを知って生きることだろう。
そう思えば、風の音も鳥の声も、草木のきらめきも、一瞬一瞬が末期の眼をとおして光り輝き、かけがえのないオリジナルの人生になるにちがいない。
今回は「玉の緒」を紹介。「玉の緒」とは、いのちのことです。玉は魂をあらわし、緒は肉体と霊魂をしっかりつなぎとめる紐のこと。つまり、心と体がひとつになった生命体が「玉の緒」です。続きは……。
(210605 第724回)