人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり
「風林火山」で知られる戦国時代最強の武将、武田信玄の言葉だ。信玄が戦国最強の武将になれたのは、一にも二にも、この言葉どおり最も人を大切にしたからだろう。これにならって、のちに長い太平の世を築いたのが徳川家康である。
『孫子の兵法』をもとに武田信玄が戦の心得として軍旗に記したと言われる「風林火山」。
信玄が大将として抜群の外交を発揮し、武運をあげることができたのは、
風のように素早く動き、
林のように静かに構え、
火のように激しい勢いで攻め、
山のようにどっしりと構えていたからに他ならない。
そしてまた、風林火山のような家臣団をもっていたことが、勝因につながったとも言えるだろう。
信玄を慕い、集まった秋山信友や穴山信君、甘利虎泰などの武田二十四将をはじめとする家臣団の他、民百姓に及ぶ多くの人々が総力をあげて甲斐国を守り、武田の名を押し上げていった。
『孫子の兵法』は見方によれば、策謀の感が強すぎて人情味に欠けるところもあるが、これを日本的情緒と組み合わせて用いたのが信玄の手腕だろうと思う。
情をもって接すれば人は信頼し、見方にもなってくれる。
信頼する人たちは一丸となって才能を発揮してくれる。
そんな彼らは城であり、石垣であり、堀であるのだから、実際の城をもつことなどないと言って城を持たず、躑躅ヶ崎の館を生涯の居城にしたそうだ。
『孫子の兵法』最終章「用間篇」に、もっとも信玄を表している一節がある。
―― 聖智にあらざれば間を用うること能わず。
仁義にあらざれば間を使う事能わず。
微妙にあらざれば間の実を得ること能わず。
(人格者であり知恵のある者でなければ間者は使いこなせない。人を慈しむ心を持つ者でないと間者は使いこなせない。細かな気配りや配慮がないと実際の功績は得られない)
間者とは将軍と直結して働く存在のこと。
リーダーであってもなくても、人を大切にし、その存在を生かそうとする人のところに人は集まり、結果、生かされるということだろう。
「あの人のためなら」と、力になってくれるのだ。
今回は「彩雨」を紹介。 画家の造語でしょうか、川合玉堂の代表作に『彩雨(さいう)』という雨にけぶる紅葉の風景を描いた作品があります。続きは……。
(210701 第729回)