四十にして惑わず。五十にして天命を知る
吾十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず。
人生のモデル
これは有名な論語の一節ですが、理想の人生モデルを示していると言えるのではないでしょうか。
その意味ですが、「私(孔子)は十五歳のとき学問に志を立てた。三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。四十歳になると、心に迷うことがなくなった。五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。六十歳になると、人の言うことがなんでも素直に理解できるようになった。七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、人の道を踏み外すことがなくなった」。
孔子は紀元前552年(または紀元前551年)〜紀元前479年まで、73年の人生を送った人です。孔子が生きた春秋戦国時代は、陰謀が渦巻き戦争ばかりでいつ命を落とすかわからない時代でした。今の世の中と違い医療技術も未発達で、平均寿命も今とは比べ物にならないほど短かったでしょう。
その時代に73歳まで生き、ライフプランを示したのですから凄いものです。
孔子の生涯
紀元前552年(一説には前551年)に、当時の魯(ろ)の国(現在の山東省曲阜)の鄹邑(すうゆう)という土地の大夫(小領主)で既に70歳を超えていた孔紇(こうこつ)、母は身分の低い16歳の巫女であった顔徴在(がんちょうざい)とされる。その後の人生は、
3歳:父を失い母とともに曲阜の街へ移住
15歳:学に志す
17歳:母も失い孤児として育ちながらも勉強に励んで礼学を修める
19歳:宋の幵官(けんかん)氏と結婚。翌年、子の孔鯉が誕生
28歳:この頃までに魯に仕官。倉庫を管理する委吏に、牧場を管理する乗田となった
36歳:魯の第23代君主昭公が国外追放され、孔子も昭公のあとを追って斉に亡命
4?歳:魯に戻って弟子をとり教育することに励み、顔回や仲弓、子貢などの主要な弟子の多くが入門
52歳:魯の第26代君主定公によって中都の宰に取り立てられる
53歳:最高裁判官である大司寇に就任し、かつ外交官にもなった
56歳:官を辞し弟子とともに諸国巡遊の旅に出て、13年間亡命生活を送る
69歳:魯に帰国し、死去するまで詩書など古典研究の整理を行なう。
この年、子の孔鯉が50歳で死んでいる
73歳:死没して曲阜の城北の泗水(しすい)のほとりに葬られた
その後、孔鯉の息子で孔子の孫である子思(紀元前483年?-紀元前402年?)は幼くして父と祖父を失ったため孔子との面識はわずかだが、曾子(そうし:孔子の高弟)の教えを受け儒家となり、魯の第30代君主穆公(ぼくこう:? – 紀元前383年)に仕えた。孟子は子思の学派から儒学を学んでいる。
人生を振り返る
孔子は、15歳は「志学」、30歳で「而立」、40歳は「不惑」、50歳は「知命」、60歳は「耳順」、70歳は「従心」と人生をフェーズ分けしました。彼の年表を見ても、10歳刻みで変化しているわけではありませんが、波乱万丈の人生から人生の理想形を見出したのでしょう。
では、ここで恥ずかしながら私の人生を振り返ってみると、
0歳:平凡な兼業農家に生まれる
15歳:地元の高校入学。志がなく頭に詰め込んだ知識は、大学受験が終わるとすっかり忘却の彼方へ
25歳:経営コンサルタントを志し勉強を開始する
27歳:結婚、大阪の経営コンサル会社に転職
36歳:自ら志願して東京事務所を設立する
39歳:独立してアイパートナーを設立したものの試行錯誤で惑ってばかり
49歳:本格的に中国古典の勉強を開始する
50歳:「徳は元なり財は末なり」をベースに、人間性(持ち味発揮)と経済性を両輪とした活動を天命と決意する
60歳:多様な意見、特に若い人の意見に耳を傾けることを心がける
そしてこれからの目標は、
70歳:自由で愉快な人生を送りながらも、我儘や傲慢で人に迷惑をかけるようなことのない人間を目指す
この論語の一節を頭に入れておくと、人生のイメージができて、徐々にその方向に近づいているような気がします。
人生のマネジメント
我々の生活は日々の小さな判断や行動の積み重ねで成り立っていますが、先の見えないことばかりです。目の前の事に集中することが、良い結果を生み出す秘訣でしょう。しかし、短期と中長期、鋭角と広角といった複眼思考が欠かせません。ゴルフもそうですが、人生においてもマネジメントが満足度の高い結果を残す秘訣だと思います。行き当たりばったりでいると、無駄が多いし、目的地が見えていないと堂々巡りで何の成長も達成感も味合わずに終わってしまう可能性があります。
死ぬ時の後悔を最小にするには、やは最終の理想形をイメージして、逆算や引き算で考え、マイルストーンを設定するのが良い方法でしょう。ゴルフならヤーデージブックを使って、コースの攻略プランを練られますが、人生にはコースの解説書がありません。不確実性の高い、先の見えない人生だからこそ、孔子はじめ先人の知恵を活用しない手はないのではないでしょうか。
死して朽ちず
「少にして学べば壮にして為すこと有り。壮にして学べば老いて衰えず。 老いて学べば死して朽ちず。」佐藤一斎の言志四録の有名な一節です。
その意味は、青少年時代に学べば、壮年になって為すことがある。壮年時代に学べば、老年になって気力が衰えない。老年時代に学べば、死んでもその人望は朽ちない。
佐藤一斎は、10年先、20年先、30年先、さらに死後のことまで考えて学び続けよ! と言っています。特に、「死して朽ちず」は凄いことです。
我々のような平凡な人間は、歴史に名を刻むような大業はできません。しかし、現在はデジタル技術が進化し、記録された言葉は永久に保存されます。このブログの文章も閉鎖されない限り、永遠に生き続けます。誠実に取り組めば、きっと誰かの役に立つこともあるでしょう。
「学びて時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有り、遠方より来る。亦楽しからずや。人知らずして慍(いきど)おらず、亦君子ならずや」
これも論語の一説ですが、生涯学び成長し続けることは喜ばしい。別の時代を生きた人と語り合うのも楽しい。 頑張ったことが直ぐに評価されなくても、怒ったり恨んだりしてはならない。なぜなら後世に評価されるかもしれないから。これが君子つまり立派な人の姿なのだと。