功を以て位、能を以て職
治国の臣、功を効(いた)して以て位を履(ふ)み、能を官に見(あら)はして以て職を受け、力を権衡(けんこう)に尽くして以て事に任ず。
これは中国戦国時代の法家である韓非(紀元前280年? – 紀元前233年)の著書「韓非子」用人編の一節です。その意味は、「君主によってよく治められた国の幹部は、国に対しての功績によって地位を与えられ、能力によって職(役割と責任)を与えられ、権力や能力をバランスよく使うことで仕事を任せられる」となります。つまり人材登用や組織運営の原理原則を説いているのです。
「韓非子」は帝王学の書
韓非は百家争鳴と呼ばれる中国思想史の全盛期に生まれた政治家であり、性悪説を説く儒家の荀子(紀元前298年−紀元前238)に学んだといわれ、不道徳な行為を「礼」による教育指導で矯正するとした荀子の考えに対し、法律によって抑えるべきだと主張しました。
韓非の生まれた戦国末期は、戦国七雄(秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓)と呼ばれる7ヶ国に集約され、国家間の過酷な生存競争を勝ち抜くために、国内外の優秀な人材の発掘と登用が活発に行われました。韓の国の王子であった韓非の思想は、皮肉なことに韓ではなく、敵対する隣国秦の始皇帝によって高く評価され、秦天下統一に貢献することとなったのです。
世の道理と人の特性に従う
古の善く人を用ふる者は、必ず天に循(したが)ひ人に順(したが)ひ、而して賞罰を明にす。天に循(したが)へば則ち力を用ふる寡(すくな)くして功立ち、人に順(したが)へば則ち刑罰省けて令行はれ、賞罰を明にすれば、則ち伯夷(はくい)盜跖(とうせき)乱れず。此(かく)の如くんば則ち白黒分かる。治国の臣、功を効(いた)して以て位を履(ふ)み、能を官に見(あら)はして以て職を受け、力を権衡(けんこう)に尽くして以て事に任ず。
その意味は、
「昔のうまく人材を活用した君主(組織のトップ)は、必ず世の道理と人の特性に順って賞罰を明確に定めた。世の道理に適合していれば、強引に権力や武力を用いることがなくても功績を生み出し、人の特性(持ち味)を活かしたので刑罰を省いても法令は施行され、賞罰が明らかだったので、伯夷(中国古代、殷末周初の伝説上の人物。君主に諫言する清廉潔白な人の代名詞)と盗跖(春秋時代、魯の盗賊団の親分。極悪非道な人間の代名詞)のような善人と悪人が混同されることはなく、このようであったので白黒が明確に分けられた。君主によってよく治められた国の幹部は、国に対しての功績によって地位を与えられ、能力によって職(役割と責任)を与えられ、権力や能力をバランスよく使うことで仕事を任せられる」となります。
ルールと基準を明確に!
中主をして法術を守り、拙匠(せっしょう)をして規矩(きく)寸尺を守らしめば、則ち万 失はざらん。人に君たる者は、能(よ)く賢巧の能(よ)くせざる所を去り、中拙の万失はざる所を守らば、則ち人力尽きて功名立たん。
その意味は、
「並みの君主でも法術(制度や基準、組織運営の手法)を守り、スキルのない職人でも定規や物さしを使うなら、万にひとつの失敗もない。君主たる者は賢人や巧者にしかできない難しいことは取り去り、普通の人でも万にひとつ失敗することのない方法を守るべきで、そうすれば臣民(幹部から社員まで全員)が力を尽くし、功績を残し名を成すであろう」となります。
わかりやすいが一番!
表を以て目に示し、鼓を以て耳に語(つ)げ、法を以て心に教ふ。人に君たる者、三易の数を釈(す)てて、一の知り難きの心を行ふ。此の如くんば則ち怒 上に積みて、怨 下に積む。積怒を以て積怨を御す、則ち両(ふたつ)ながら危ふし。
明主の表は見易し。故に約立つ。其の教(おしへ)は知り易し。故に言用ひらる。其の法は為し易し。故に令行はる。
その意味は、
「優れた組織のトップは目印によって目でわかるようにし、太鼓によって耳でわかるようにし、法によって心に教え聞かせる。しかし今の世の組織のトップは、これら3つの易しい方法を捨て、ただわかり難い人の心(徳性)に頼ろうとする。このようでは組織のトップは怒りをつのらせ、幹部から社員まで皆は怨みを積もらせる。怒った組織トップが怨みを抱く幹部から社員までを治めれば、上下両者ともに危ういであろう。優れた組織トップの治世では、目印(基準)は見やすいので規則は守られる。教えはわかりやすいのでその言葉は理解され実行される。法は行いやすいので守られる。これら3つが守り行なわれ、組織トップに私利私欲がなく公平であれば、幹部は法(制度・システム)に従って職を治め(職務を遂行し)、目印を見て動き(明確な方針やルールに従って動き)、縄に随って斬り(役割責任を明確にし)、おり目に沿って縫う(互いに連携する)ことができる」となります。
上下双方の利益を考える
人主は人をして公を以て力を尽くさしむるを楽しみて、私を以て威を奪ふを苦しむ。人臣は能を以て職を受くるに安んじて、一を以て二を負ふを苦しむ。故に明主は人臣の苦しむ所を除きて人主の楽しむ所を立つ。上下の利、此より長なるは莫し。
その意味は、
「人の上に立つ組織トップは部下が公のために力を尽くすことを喜び、部下がが私欲のために権威を奪い悪用することによって苦しむ。幹部や管理職は能力に合った職務を受けることで安心して働け、一人で複数の仕事を兼任させられることによって苦しむ。ゆえに立派な組織トップは幹部や社員の苦しみを除いて、組織トップとしての喜び(組織が健全で成果が持続的に出ること)を実現し、上下皆がに利益を得る。これが最高の状態である」となります。
組織が乱れる原因
人主、為し難きを立てて、及ばざるを罪せば、則ち私怨生ぜん。人臣、長ずる所を失ひて、給し難きに奉ぜば、則ち伏怨結ばん。労苦、撫循(ぶじゅん)せず、憂悲、哀憐(あいれん)せず、喜べば則ち小人を誉めて、賢不肖、倶(とも)に賞せられ、怒れば則ち君子を毀(そし)りて、伯夷と盜跖(とうせき)とをして倶(とも)に辱められしむ。故に臣、主に叛(そむ)く有り。
その意味は、
「上司が部下に実行が難しいことをさせて、目標未達を罰すれば、部下に上司を怨む心が生じるだろう。部下が得意なところで働けず、不得手なことをやらされれば、上司をひそかに怨むだろう。部下が苦労をしても慰めず、憂い悲しんでいても憐(あわ)れまず、気に入れば小人(つまらない人間)でも褒め称え、賢人もできの悪い者もどちらも賞を与え、怒りに触れれば君子(立派な人)でも謗(そし)り、伯夷と盗跖(善人と悪人)の区別なく罰し辱める。ゆえに部下の中で上司に叛(そむ)く者が出てくるのである」となります。
強い組織づくりの要諦
韓非子が著された戦国時代の末期は、秦が台風の目となり戦国七雄による一触即発の緊張した時代でした。そんな非常事態下では仁や義といった徳だけでは平和を勝ち取ることはできませんでした。
秦はいち早く他国から優秀な人材をスカウトし、法家思想も導入し国家の秩序を高め富国強兵を進め抜きん出た存在になりました。そして紀元前221年、始皇帝が天下を統一するに至りました。
法律第一とはいえ、組織のトップや幹部には「徳」(優れた人間性)が必要であり、人の持ち味を活かすことの大切さも理解していました。ただ徳だけで大きな国家を運営するのは非現実的であり、リーダーの個人的資質によって国家の命運が左右されることがあってはならないと考えました。そこで法律やルールを定め公平な人事、懲罰や報償を実施することで組織の規律を保ち強い国家を築いていったのです。
優勝劣敗の世界である企業経営においては、経営者と社員の人間性(徳性)と能力を磨くとともに、公平で再現性があり、人を活かし創造性を高める時代にあった制度やシステムを構築していく必要があります。