民信なくんば立たず
この言葉は論語の一節で、政治のあり方を説くものです。「政治は民衆の信頼なくして成り立つものではない」という意味です。国家運営でも会社経営でも国民や社員との間に信頼感を醸成し、安心して生活し働ける環境を作らなければならないと言うのです。
政治や経営の優先順位
この論語の一節の全体像を読んでみましょう。
「子貢(しこう)、政(せい)を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。
子貢が曰わく、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(こ)の三者(さんしゃ)に於(おい)て何(いず)れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者(にしゃ)に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。」
現代語に訳すと、
子貢が政治について(何が大事かを)尋ねました。孔子は、「食糧をいきわたらせること、軍備を整えること、人々に信頼感を植えつけることだ」と答えられました。子貢は、「やむを得ずして三つのうち一つを犠牲にせねばならないとしたら、どれを犠牲にしますか」と尋ね、孔子は、「軍備だな」と答えられました。子貢はさらに、「やむを得ずして残った二つのうち一つを犠牲にせねばならないとしたら、どちらを犠牲にしますか」と尋ねました。孔子は、「次は食糧だ。昔から人の死は避けられないものだが、信頼がないと人間社会が成立しない」と答えられました。
信用・信頼とは
例えば、日々の生活で欠かせないお金、1万円札は日本国内のどこでも必ず1万円として使えるような通貨管理が必要です。会社では給与制度を定め、決まった日に正しい計算式で給与が支払われなければなりません。犯罪があれば、警察や検察が取り締まられなければ世の中の秩序が保たれません。通貨に信頼があるから安心して経済活動が営まれ、会社を信頼できるからこと安心して働け、治安が保たれるから銃を持たなくても街を安心して歩けます。国家は国民を会社は社員を大切に扱うからこそ、そこに信頼が生まれるのです。
「信頼」=「ブランド」
この世の中で一番大切なものは人の命ですが、いつか潰えます。しかし、社会や会社などの組織には生物学的な寿命はありません。そこに優れた人間性や文化・伝統など目には見えないものが信頼感を醸成しブランドを形成します。このブランドが国家や会社への尊敬や豊かさをもたらす源泉となります。それがないといつかは、世の中から消えてしまうでしょう。
幸い日本には外国から評価される信頼されているものがあります。例えば、偽札がない、水道水でも安心して飲める、日本製品は品質が高い、国民皆保険で誰でも医療サービスが受けられる、電車はほぼ時間通り運行している、治安が良い(銃を持たなくても大丈夫)など、信頼に足ることがたくさんあります。この背景には日本人の人間性に対する信頼感があり、ジャパン・ブランドを形成していると言えるでしょう(もちろん、信頼できないことも、ダメなこともたくさんありますが…)。
COVID-19と「信頼」
現在、世界を震撼させている新型コロナウイルス(COVID-19)ですが、緊急事態宣言が一部緩和され、新しい生活様式や働き方を形づくるフェーズに入ってきました。
これからは、国民の一人ひとりの自主性に基づく秩序ある行動・信頼に足る行動ができるかが問われる段階に入ってきたということです。
緊急事態宣言に伴う新型インフルエンザ対策特別措置法には、強制や罰則がないのが、日本と諸外国との大きな違いです。背景には、国民は節度ある行動を取るという国民性への信頼、また第二次大戦の反省から政府の強権化への危惧もあるでしょう。
今、国民一人ひとりの信頼、政治への信頼、自治への信頼、社会への信頼、企業への信頼が問われているのです。どんな立場の人であれ、一人ひとりの考え方や行動が社会の安定に直結していることを改めて認識する必要があります。
信頼はどこから来るのか
信頼は大切なものですが、極めて感覚的で曖昧なものです。それは日々の小さな言動の積み重ねで築きあげられるもので、獲得するには長い時間を要しますが、失うのは一瞬という儚い面も持っています。ここで、「Speed of Trust」(スティーブン・M.R. コヴィー 他 (著) キングベアー出版)に書かれている大切な要素をご紹介しましょう。
◆信頼の4つの核
① 人格:誠実さ(約束、信念、一貫性、勇気、受容性)
② 意図(動機、思惑、winwin)
③ 能力(才能、態度、知識、スキル)
④ 結果(過去、現在、未来)
◆信頼を作る13の行動より(抜粋)
<人間的信頼>①率直に話す ②他者を尊敬する ③透明性を高める ④間違いを正す ⑤忠誠心を示す
<能力的信頼>⑥結果を出す ⑦より上を目指す ⑧現実を直視する ⑨期待を明確にする ⑩責任を果たす
信頼=人間的信頼×能力的信頼
信頼を作るには大きく分けると人間的と能力的信頼に大別されますが、その2つを掛け合わせた積が総合的な信頼の大きさとなります。
しかし、この2つの要素は異なった性質を持っています。
能力は努力を続けるとゼロからどんどんプラスに高まって行きます(能力にマイナスはありません)。しかし、人間的信頼は心の作用に依存し、善と悪の間で常に揺れ動きます。つまりプラス∞(無限大)からマイナス∞までが存在するのです。
人間性も能力も高い人は、社会に大きく貢献して立派な人と賞賛されるでしょう。一方、詐欺師などは、企画構想力やコミュニケーション力は人並み外れて高くても、人を騙すことを何とも思わない極めて不誠実な人間は犯罪者として社会から厳しい制裁を受けます。
この例からもわかるように、信頼の決め手は人間性ということです。誠実さ(約束、信念、一貫性、勇気、受容性)をどれだけ大切にするかが、個人や組織、そして国家の価値・ブランドを決定づけると言っても過言ではないでしょう。
残念ながら今の世の中は、知識スキル偏重、お金偏重の社会であり、人間性が後回しになっています。そんな世の中だからこそ、中国古典を鏡として自分の姿を省みたり、メンターとして背中を押してもらって、自分の人間性を磨き続けることの価値があると思うのです。