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紺碧の将

かくも格調高い手紙のやりとり

file.108『手紙、栞を添えて』辻邦生・水村美苗 朝日新聞社

 

 往復書簡で互いの気持ちをこれほど伝え合うことができるものなのか。このままずっと読み続けていたいと何度思ったことか。

 人選が巧みだ。辻邦生と水村美苗。新聞連載という形でこの企画が始まった1996年当時、これ以上の組み合わせはなかったのではないか(辻邦生はその後、逝去)。それぞれが文学に対する深い愛着と豊富な読書量をもとにした一家言がある。二人が綴る手紙は、少年時代、胸をときめかせながら世界の古典文学に没頭した私の心をヒタヒタにしてくれた。すでに読んでいる作品はまた読んでみたいという思いにかられたし、読んだことのない作品はいますぐにでも読みたいと思った。

 この企画に臨む水村美苗の着想もいい。この企画が始まる前、相手(辻邦生)と面会することになっていたそうだが、水村氏は「一度も会わないまま、手紙のやりとりをするのもいいのではないか」と提案し、その通りになったのだ。

 たしかにそうだろう、この方はこんな読書体験をしたのか、この作品にこんな思いを抱いているのか、実際にお会いしたらどんな印象の方なんだろう……、そういう思いを胸に秘めながら1年以上も手紙のやりとりをする。それは、贅沢な心の躍動だったはずだ。

 水村が書く。「文学――それは、少数の幸福な精神との結びつきにほかありません」と。そうなのだ、「少数の」が「幸福な精神」にかかるのか「結びつき」にかかるのか不明だが、どちらにしても言い得て妙だ。

『嵐が丘』のヒースクリフとキャサリンの愛についての洞察など、膝を打つどころか、「そうだそうだ」と声を出しながら読んだ。

 水村はフローベールの『ボヴァリー夫人』に冷めた印象をもっているが、いっぽうで彼の書簡集については、「小説そのものと対照的に、あれはまたなんとも私たちに力を与えてくれることか。多数の判断に媚びず、おのれを信じ、安易なものをどんどん切りすてて書いてゆかねばならない――作家にとってもっとも大切なことが、きびしい倫理性となまなましい情熱との両方をもって、ひしひしと伝わってくるのです」と喝破している。

 対して辻は、こう記す。

 ――「小説」の反対語は、「現実」ではない。それは「絵空事」です。「小説」というものは、まさにそれが「絵空事」ではないこと、すなわち、「現実」に切りこむことによって命をえるのです。もちろん、ここで言う「現実」は、せまい現実を意味しません。――

 なんともすさまじい考察である。

 終わり近く、水村は「小説とはかくも深く魂とかかわるものなのか……」と感嘆する。

 文学好きの友人と好きな作品について語り合うことで、よりいっそうその作品が好きになるという体験を幾度もしているが、本書との邂逅は、そういう心の作用をさらに深化させた。

 最後に、本書で挙げられている代表的な作品を列記しよう。

 ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』、吉川英治『宮本武蔵』、S・ブロンテ『ジェーン・エア』、E・ブロンテ『嵐が丘』、スタンダール『パルムの僧院』、永井荷風『断腸亭日乗』、ゴーゴリ『外套』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、トーマス・マン『ブッデンブローク家の人々』、リルケ『マルテの手記』、トルストイ『イワンのばか』、幸田文『父・こんなこと』、ソポクレス『オイディプス王』、ダンテ『神曲』、森鴎外『渋江抽斎』、ショーロホフ『静かなドン』、『魯迅/阿Q正伝』、オースティン『高慢と偏見』など多数。

 

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