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豪胆で冷静で楽天的な大政治家の生涯

file.110『悪と徳と 岸信介と未完の日本』福田和也 産経新聞出版

 

 福田和也氏の著書は、『昭和天皇』(全8巻)に次いで2冊目。文章は硬直した感があるが、近代において重要な役割を果たした人物の評伝には定評があり、信用に値すると思っている。

 総理大臣の功績は、在任中はわからないものだ。よく言われる「後世の人たちに評価を委ねる」云々という発言は、的を射ている。時間が経たなければわからないことがあるのだ。

 言うまでもなく、その評価の軸となるのは、「なにを成し遂げたものか」である。たとえ、そのときの国民には不人気であろうとも、やらなければならないと判断したことを果敢に実行する。国民に人気があるとか人がいいというのは、総理の功績とはなんら関係がない。

 その点、私は戦後最大の功績を残した総理大臣として、岸信介の名をあげたい。

 岸信介と聞いて、否定的な意見を言う人が多い。しかし、スケールの大きさと強靭な実行力において、彼に並ぶ者はいない。

 成果が圧倒的だ。その最たるものは、それまでの日米安保条約が、米軍は日本の基地を使えるが日本を防衛する義務はないとする片務的な内容だったものを、日本を防衛する義務があると双務的な内容に改定させたことだ。これがいわゆる60年安保闘争の焦点となる。

 1960(昭和35)年6月18日、新日米安全保障条約が批准される前日、国会前にデモ隊33万人(国民会議側発表、警察発表は18万人)が集結した。南平台にある岸の自宅周りもアリの入る隙間もないほどデモ隊に取り囲まれ、投石によって窓ガラスが割られるという始末だった。それでも岸は泰然自若とし、孫を背中に乗せ、〝お馬さんごっこ〟をしていたというエピソードがある。もちろん、その孫とは、安倍晋三氏である。

「デモに参加している人たちは、必ずしも自分の意思で参加しているわけではない」

 そう岸は語っていた。デモ隊など、烏合の衆にしか思えなかったのだろうし、彼らに悪意がないことも知っていた。本書にも「彼を愛さない国民に対しての責任感が揺らいでいない」と書かれているように、自分を忌み嫌う大衆に対して嫌悪感を抱かず、〝上から目線で〟空前のデモ活動をやり過ごした。

 岸にまつわる豪快なエピソードはいくつもある。昭和19年7月、サイパンが陥落し、敗戦は必至とみた岸は講和の時期だと東条に迫るが、東条は頑なに拒否し、岸に対して大臣を辞任するよう迫ってきた(そのときの岸の態度が、後のA級戦犯不起訴の理由になる)。怒った東条は、岸の自宅に憲兵を送り込み、力尽くで辞任させようとする。憲兵は日本刀を玄関先に突き立て、すごい形相で脅しをかけるが、岸はまったくひるまない。当時、東条に抵抗することは命懸けだったが、岸は体を張って総辞職に追い込んだ。

 A級戦犯容疑として巣鴨プリズンに収監されたときも堂々としていた。高位の軍人らが泣き言を並べているなか、岸は従容としてふだんと変わらず、黙って「詩経」や「荘子」を読んでいた。さらに「自決しなかったのは、法廷で堂々と大東亜戦争が間違っていなかったことを述べて後世に判断を委ねる」からだったと語った。3年3ヶ月ぶりに巣鴨プリズンを釈放されたあと、岩国駅で通行人から唾を吐きかけられても、群衆の一員など歯牙にもかけていなかったという。

 いったい、これほど不動の胆力や知力をどうやって身につけることができたのか。本書には、その答えのヒントがたくさん散りばめられている。

 岸は1896(明治29)年、父・佐藤秀助と母・茂世の間に、山口県山口市で生まれた。曾祖父・信寛は吉田松陰の門下生で、叔父の松岡洋右は近衛内閣の外務大臣、実弟・佐藤栄作は後に総理大臣になるなど、サラブレッドの血脈をひき、英才教育を受けて育った。

 中学生になるとイギリス人家庭教師による英語教育を受け、テニス、野球、釣り、漢詩にも熱中した。その後、中3のとき、岸家に養子として入る。大学時代には、義太夫や落語にも熱中した。

 旧制一高から東京帝国大学へ進み、同大をトップで卒業し、農商務省に入省する。

 辣腕が発揮されるのは、満州国産業部次長に就任してからだ。石原莞爾とはそりが合わなかったが、満州の産業育成基盤の整備のために、軍部の反発を押しのけて日本産業の鮎川義介を招聘した。一方で、産業育成のために領収証のいらない金をふんだんに使ったとも言われる。清濁併せ呑むことを少しも厭わなかった。

 巣鴨プリズンから釈放されて8年後、総理大臣に就任。その後、日本の首脳として初のアジア歴訪後、訪米。ホワイトハウスで日本の総理として初めて食卓につき、アイゼンハウアー大統領と会談。日米安保条約の改定を決意する。当所、交渉のテーブルに着くことさえ拒否していたアメリカ側に条約改正を迫り、ついに日本防衛の義務を負わせ、沖縄・小笠原返還の端緒をつけた。おまけにヤンキースの始球式にも〝出場〟した。新安保批准がなされた翌月、岸は暴漢に襲われた。

 以後、日本は安全保障をアメリカに委ね、経済大国への道をひた走ることになる。

 著者は、こう書いている。

「岸が凡百のマキャヴェリストと一線を画しているのは、手段と目的のバランスが打算的功利主義や自己の保身によって成り立っているのではなく、とてつもなく大胆な戦略や、一気に視野を切り拓く決断によって構成されていること」

 岸はマキャヴェリストではあったが、行動原理に私利私欲はなかった。国家総動員体制の整備に尽力し、議会政治を空洞化、官僚主導の国家運営を推進したという負の面もあったが、まぎれもなく大政治家と呼ぶにふさわしい豪胆な男だった。

 本書は、そんな男をさまざまな角度から描いている。こんなスケールの大きな政治家は、もう二度と現れないのではないか。

 

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