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紺碧の将

心と体を解き放つ言葉

file.134『禅語遊心』玄侑宗久 筑摩書房

 

 けっして信心深い人間とはいえない私だが、禅の考え方には惹かれている。

 禅はへそ曲がりで、言葉による理解をバカにし、「不立文字」と言っていながら数え切れないほど多くの言葉で禅の奥義を説明しようとしている。不立文字とは、言葉では真理は伝えられないという意味だが、鈴木大拙は「不立文字を理解するには多くの言葉が必要だ」とも言っている。こんなことを言うから、わけのわからない言い回しは「禅問答」と言われてしまうのだ。

 ……さておき、禅のものごとのとらえ方は、じつに風通しがいい。なんでもかんでも数字に置き換え、「ファクト・ロジック・エビデンス」が過剰に重宝される現代において、禅は効果的な中和剤になりえる。もちろん、「ファクト・ロジック・エビデンス」も大切だが、それだけだと心がフン詰まり状態になるのは必至。その成れの果てが、現代の社会状況なのではなかろうか。

 禅という字を分解すると、「示」と「単」となるように、ゴチャゴチャにからまったものごとをシンプルな形にして提示するための考え方とも言える。

 

 本書の著者・玄侑宗久氏は、本コラムにおいて3度目の登場である。はじめはfile,008『竹林精舎』、2度目はfile.059『僧侶と医師が語る 死と闘わない生き方』

 玄侑氏は臨済宗の僧侶だが、そのポジションがいいのだろう。同じ禅宗でも曹洞宗だとしたら、禅の奥義を言葉で説明しようという試みはもっと淡いものだったろうし、禅宗以外の宗派であればなおのこと。加えて、氏の来歴がものを言っている。

 若い時分、さまざまな経験を積んでいる。将来、寺の住職を継ぐと決まっていただろうに、モルモン教、統一教会、天理教、ものみの塔のほか、イスラム教の門をも叩くという激しい好奇心と行動力を発揮している。ナイトクラブのフロアマネージャーをしたともいう。およそ僧侶のイメージとは大きくかけ離れた経験が、いまの玄侑宗久という人物を造形しているのだろう。

 お坊さんが語ると、どうしても〝説教〟臭くなる。

 しかし、玄侑氏は型にはまらない。言葉の端々に、心が解き放たれている様子が表れている。そういう人の禅語解釈がつまらないはずがない。

 まず、玄侑氏は、禅の立ち位置を明確に表す。

 曰く、

「禅は世間の常識というものに対し、かなり懐疑的である。この世で生きていくうえでの世間の常識も必要だが、それは往々にして我々の精神を不自由にする」

「(桜のように)一糸乱れずに咲く様子は、個人の境涯や家風を重んじる禅には似合わない」

「禅はけっして宿命を認めない」

「外に求めない、というのが禅の基本的態度である」……。

 これだけでも、本書の主旨がわかるだろうが、さらにいくつか抜粋する。

「他人と和する以前に、個人の中身が和していなければ、と考えるのが禅である」

「自由とは、無邪気のことである。世間の常識に潜む邪気に、無邪気で向き合うのだ。邪気に正義で対抗しようとして、潰れる人もいる。正義じたいが邪気を孕みやすいことを知らないのだろう」

「欲求の一部を剪定するのは必要なことだが、剪定しすぎると幹が空洞化する」

 ……どうです? 見事に涼しい風が吹き抜けているでしょう?

 現代人は、さまざまな「常識」という衣服を身に着けている。教育を受け、膨大な情報を得ながら知識を溜め込み、〝でっちあげの自分〟でがんじがらめになっている。それが禍して、心が凝り固まる。それをほぐすための手段として禅があるのだ。

 冒頭、「不立文字を理解するには多くの言葉が必要だ」という鈴木大拙の言葉を挙げたが、これも本文中のこの文章によって、意図が明らかになる。

「初め言葉を浮かべ、その方向への所作を習慣化することで言葉は身体化する。身体化するということは言葉がなくなって無意識になるということだ」

 茶道の所作を思い浮かべればいい。あるいは、自転車乗りでもいい。最初は懸命に意識を集中しても、フラフラしてしまう。しかし、ひとたび平衡感覚をつかめば、ほかのことを考えながらでも自転車を漕ぐことができる。

 禅語もそうなのだ。無数にある禅語を浴びるように味わう。やがて、その言葉の意味など考えずとも、心や体が勝手にニュートラルになっている。そのための方便だと思えばいいのだ。

 もうひとつ、大切なことを玄侑宗久氏は書いている。合理性一辺倒に陥ることへの警告である。それを端的に表しているのが次の言葉だ。

「科学的知識に我々の実態を譲り渡してはいけない。大事なのはいかに自分の心とからだを経営するか、である」

 さあ、こんなところで本書の主旨をおわかりいただけたであろうか。

 茶でも喫みながら、楽しんでいただきたい。 

 

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