方向感覚を磨くことは人間を磨くこと
かつて、方向感覚を磨くことは、人間が生きていくうえで必須だった。
食料を求めて遠くへ出かける。しかし、棲み家に戻れなければ、雨露もしのげず、暖もとれず、備蓄した食料を食べることもできず、孤独になって死を待つだけになる。
現代社会では、そういう事態に陥ることはないが、とはいえ方向感覚を失った人間にはなりたくない。ナビゲーション・システムがなかった頃、見知らぬ土地を運転するときは大きな地図で自分がどこにいるかを確認しながら走ったものだ。しかし、ナビを使うようになってから、急速に方向感覚がなくなった。まして現代はなんでもかんでもスマホが教えてくれる。
筆者は、せめて最低限の方向感覚を維持しようと、なるべくスマホのナビは使わないようにしている。初めて行くところでも、事前にグーグルマップで位置を確認し、簡単な手書きの地図をメモに書いて持って行き、なるべく方向感覚を頼りに目的地に行くようにしている。
そんな方向感覚を失った現代人に読んでほしいのが本書である。
帯に付されたコピーがいい。
――旅する身体を取り戻す。
リード文には「太陽・月・星、頬にあたる風、雲、樹木の形、水たまり、反響音、動物の動き……GPSや地図に頼らず、自らの感覚を総動員して自然を読み、ときに古来の知恵を借りながら道を見つけるための技法を、海と空で大西洋を単独横断した現存する唯一の人物である探検家がガイドする。」とある。
自然は、自分が今、どこにいるかをさまざまな事象を通して教えてくれる。太陽や月の位置、陽の当たる方向、月の満ち欠け、星座、風の向き、雲の形や流れ方、樹々の枝のつき方、樹皮の微妙な色合いの違い、花が向いている方向、湿度、鳥や虫の動き……と限りなくある。それらにまったく気づかずに生活をするのか(それでも支障はないが)、意識して生きていくのかには大きな違いがあると思っている。
とはいえ、自然の事象を分析するだけでは本末転倒になる可能性がある。本書の冒頭に、ロバート・M・パーシグの『禅とオートバイ修理技術』の一節が引用されている。そのなかに、マーク・トウェインがミシシッピ川で船を操舵するのに必要な分析的知識を身につけたとき、川がその美しさを失っていることに気づいたということが書かれている。
つまり、自然を分析的に見るだけでは、見失ってしまうものがあると言いたいのだ。それをあえて書いたうえで、自然の読み方について書く。本書を書くにあたっての著者の態度は、じつに真摯である。そういう書物こそ、信頼するに足るものではないか。
英国ナショナル・トラスト、最優秀アウトドアブック賞受賞作。
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