ドライな表現の奥に潜む、湿潤な感性
大正2(1913)年の刊行から110年が過ぎた。近代短歌史上最高傑作と評される斎藤茂吉の処女歌集を敬して遠ざけてきたが、機が熟したのか、急に読みたくなった。それには訳がある。
ひとつには、毎朝、覚えている西行の歌を紙に書きつけることを習慣としているのだが、平安・鎌倉期の歌と大正期の歌がどうちがうのか知りたかったということ。
もうひとつは、辻邦生と北杜夫(斎藤茂吉の息子)の対談集『若き日と文学と』で、ふたりが「われわれが何年もかけて書いた長編小説が斎藤茂吉の歌一首に及ばない」と言っているのを読んだこと。「それほどすごいのか!」と興味をもつのは当然だ。北杜夫は若い頃に『どくとるマンボウ航海記』を読んだ程度であまり詳しくはないが、辻邦生は本コラムでも紹介した『西行花伝』や『嵯峨野明月記』『安土往還記』など、その気品あふれる精緻な文章に感銘を受けていたからなおさらだった。
一読した印象では、「西行の時代の歌よりわかりやすい」だった(もちろん、現代語に直されたものだが)。ただ、ひとつひとつの歌がカバーする範囲が斎藤茂吉の方が広く、その分、想像をたくましくしないと味わえない。西行の時代、主題は叶わぬ恋心を自然に託すとか自身の境遇(孤独であること)とか天皇への思いなど、ある程度予測することができるが、茂吉の歌の背景には、言葉以上の広がりがある。だからといって、西行の歌の背景に広がりがないというのではない。ある意味、対象が少ないだけに、深掘りが生半可ではない。つまり、どちらも甲乙つけがたい頂きにある。
「死にたまふ母」の連作が凄まじい。いくつか拾い上げてみよう。
死に近き 母が額を 撫りつつ 涙ながれて 居たりけるかな
我が母よ 死にたまひゆく 我が母よ 我を生まし 乳足らひし母よ
いのちある 人あつまりて 我が母の いのち死行くを 見たり死ゆくを
わが母を 焼かねばならぬ 火を持てり 天つ空には 見るものもなし
星のゐる 夜ぞらのもとに 赤赤と ははそはの母は 燃えゆきにけり
母が臨終を迎え、あの世にいく様子を冷徹に綴っている。
五姓田義松の『老母図』を思い出してしまった。(※ブログ「命の最期の灯をとらえた、魂の絵」で紹介)
ドライな表現の奥に湿潤な感性の波動を感じる。
巻末の芥川龍之介による解説も秀逸。こんな一文がある。
――近代の日本の文芸は横に西洋を模倣しながら、竪には日本の土に根ざした独自性の表現に志している。茂吉はこの竪横の両面を最高度に具えた歌人である。
やはりこの歌集は一筋縄ではなかった。
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