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憎しみの連鎖を止める行動とは

file.165『恋歌』朝井まかて 講談社文庫

 

 いま、時代(歴史)小説の分野で注目しているといえば、朝井まかて氏である。女性ならではの細かい生活情景と男性的な歴史のダイナミズムの両方を表現できる稀有な作家である。

 本作は直木賞受賞作品であり、朝井氏の筆力を世に知らしめた出世作。

 主人公は、樋口一葉に和歌を教えたことで知られる中島登世(その後、歌人となり、歌子と名を変える)という実在の人物。江戸の宿屋池田屋の娘である登世は、情熱的で行動力がある。

 ある日、恋に落ちる。相手は林忠左衛門以徳という水戸藩士。水戸っぽといえば「怒りっぽい、理屈っぽい、荒っぽい」の「三ぽい」と陰口をたたかれることが多いが、そのなかにあって彼は冷静沈着で、物事を俯瞰して見ることができる稀有な剣士。登世は林に嫁ぎ、水戸へ行く。

 当初、この物語のテーマは一人の歌人の生き様が主体なのかと思っていたが(事実、そうなのであるが)、途中から幕末のダイナミズムが加わり、虫の目と鳥の目によって描き分けられていく。

 桜田門外の変が起きた当時、水戸藩は荒れに荒れた。水戸藩は尊皇攘夷の急先鋒だが、内実は一枚岩ではなく、天狗党と諸生党が対立していた。

 この内部抗争は、人間の本質そのものだ。つまらない諍いを収めることができず、大局的に見れば同志であるはずなのに相争う。身内だからその憎しみはいや増す。ついに激情を抑えられなくなった天狗党の藤田小四郎(藤田東湖の四男)は突出するが、天狗党は劣勢となり、激しい弾圧に遭う。

 登世ら天狗党の一族は牢に閉じ込められ、生死の境をさまよう。そのなかで多くの女子供が処刑されていく。この牢のなかの描写は手に汗を握る展開である。

 これ以上物語を語るのはやめよう。

 印象的なシーンがある。牢を出たあと、登世は徳川斉昭夫人で藩主慶篤やのちの将軍慶喜の母親である貞芳院と話をする。

 薩長と水戸は何が違うと思うかと登世に問われた貞芳院は、「それは貧しさだ」と答える。

「財政豊かな加賀藩は人気おおらかと聞く。温暖な薩摩や長州も懐は豊かや。けど、水戸は藩も人も皆、貧しかった。水戸者は生来が生真面目や。質素倹約を旨とし過ぎて頑なになって、その鬱憤を内政に向けてしもうたのや。あまりの貧しさと抑圧が怖いのは、人の気ぃを狭うすることやな。気ぃが狭うなれば己より弱い者を痛めつける、ほんで復讐を恐れて手加減できんようになる」

 明快である。貧しくても柔軟な考えの人がいるけど……と思えなくもないが、おおむね正鵠を射ている。

 なぜ純粋な藤田小四郎が後先を考えずに突出してしまったのか。貧しさゆえの頑なさ、それも大きな要因だろう。

 このことは太平洋戦争時の軍部にもいえる。皆真面目で純粋だったが、頑なで柔軟性がなかった。水戸は純粋がゆえに偉人を生んだが、反面、全体が見えず、醜い内部抗争に明け暮れた。憎しみの連鎖は、中東情勢を見る思いである。

 この作品のミソは、ラストにある。主人公が憎しみの連鎖を止める行動をとるのである。中東情勢で歌子のような行動をとる人が現れることを願う。

 が……。

 

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