恋愛を出世の踏み台にした青年の話
23歳のころ、腎臓病を患い、2ヶ月以上も入院していたことがあった。
痛みはなかったが安静を強いられた。8人部屋のほかの患者とはほとんど話をせず、ただベッドの上で過ごす日々は退屈で、夜は眠れず陰鬱の極みだった。人工透析をすることになるかもしれないと言われたが、幸運にもステロイド療法が利いて危機を脱した。
そのとき、心を慰撫してくれたのが本だった(より正確にいえば、英米の現代小説)。アラン・シリトー、フィリップ・ロス、ウィリアム・メルヴィン・ケリーらの作品を片っ端から読んだ。その頃、私の触手は世界の現代文学に動いていたのだ。
しかし、ひとつだけ古典が含まれていた。それがスタンダールの『赤と黒』である。だからこの小説のイメージは、病室の陰鬱な天井の沁みと重なっている。
この作品の魅力は、恋愛という個人的な営みと激動する社会情勢が立体的にからみあっていること。
主人公ジュリアン・ソレルは貧しい製材屋の息子だが、才気煥発で容姿もすぐれている。そして強烈な立身出世の野望を胸に抱いている。ナポレオンを崇拝している彼は当初、軍人としての栄達を目論んでいたが、王政復古によって軍人の出る幕がなくなったため、聖職者として出世する道を選んだ。
彼は、その才気と見目麗しい容貌によって上流の貴婦人を籠絡した。恋愛の相手を出世のための踏み台にしようとしたのである。
最初のターゲットはレナール夫人、次いでラ・モール侯爵家令嬢のマチルド。マチルドとの結婚によって目的を成就する直前,かつての恋人レナール夫人の告発により頓挫する。ジュリアンは復讐のため彼女を狙撃するが,逮捕され、死刑を宣告される。
獄中でジュリアンはレナール夫人がいまでも自分を愛しているのを知り,残りの日々を幸福のうちに過ごす。
……と物語の骨子を書けば、陳腐であることは否めない。フランスものによくありがちな〝屈折した愛〟の一変奏曲である。しかし、いくつかの点において、この作品は人間の本質を突いている。
ひとつは野心(=向上心)をうまく活用できないと悲惨な結果になるということ。野心は暴れ馬のようだといえる。うまく手綱を引くことができれば、人よりも早く、遠くまで駆けることができる。しかし、うまく扱うことができなければ、振り落とされてしまう。ジュリアンは後者だった。
もうひとつは、最悪の状況下でも心の安寧と幸福感を味わうことができるということ。実際、我が身がジュリアンだったとしてそう思えるかどうかははなはだ疑わしいが、ジュリアンの心境があながち荒唐無稽ではないからこそ世界の名作として読みつがれているのだろう。
サマセット・モームは「世界の10大小説」の一つにこの作品をあげている(ちなみに他は、ヘンリー・フィールディング『トム・ジョーンズ』、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』、オノレ・ド・バルザック『ゴリオ爺さん』、チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』、ギュスターヴ・フロベール『ボヴァリー夫人』、ハーマン・メルヴィル『白鯨』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、レフ・トルストイ『戦争と平和』)。
タイトルについては諸説ある。赤を帝政時代の栄光(あるいは軍服),黒を王政復古時代の暗愚(あるいは僧服)の象徴と見る説が有力であるが、愛と死を象徴しているという説、ルーレットの回転盤の色のごとく一か八かの出世に賭けようとするジュリアンの人生をギャンブルに喩えているという説もある。
NYダダを標榜したロック・グループ、トーキング・ヘッズのギタリスト、ジェリー・ハリスンのソロ第一作に『赤と黒』があるが、スタンダールの作品からとったのかどうかは定かではない。
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