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紺碧の将

知的遊戯にあふれた超大作

file.182『酔いどれ草の仲買人』ジョン・バース 野崎孝訳 集英社

 

 今年(2024年)4月、ジョン・バースの訃報に接した。巨星墜つとはこのことだと思った。彼の代表作『酔いどれ草の仲買人』(1960年発表)はいつかは読んでみたいと思っていた大作だった。ただ、どうしても手をつけられなかったのは、その長大さゆえ。細かい文字が2段組でびっしりと組まれ、1000ページ近くもある(しかもほとんど改行なし!)。

 追悼の意を込め、ついに決心した。

 読了後に覚えた感興は「この作品を読んでいない自分とは違う人間になった」である。なにがどうと具体的なことは言えないが、心のなかにインクのシミのようなものが付着したことはまちがいない。

 

 主人公は17世紀末から18世紀初めにかけて実在した桂冠詩人エベニーザー・クック。彼とその一行はイギリスの植民地であるアメリカ・メリーランドに赴き、さまざまな試練に遭遇し、それらを克服していく。バースは当時のイギリスと新大陸アメリカの状況を巧みに踏まえつつ、壮大な物語を完成させた。バースは高校を卒業後、ジュリアード音楽院へ進み、編曲や和声学を学んでいるが、なるほど彼の文体は手練れによって編曲を施された交響曲に似ている。

 エベニーザーは生涯不犯を貫徹しようとし、その無垢な心は滑稽とも映るが、しばしばそれが危機を乗り越える要因となる。

 ユニークなのは、エベニーザーと双生児の妹アンナの元家庭教師であるバーリンゲーム三世。彼は桁外れの見識を備え、弁舌も巧み。そのうえ変装の名人でもある。彼はさまざまな人間に扮して狂言回し役をつとめながら自身の出生の秘密を探っていく。物語の構成は蜘蛛の巣のように緻密で複雑。登場人物は数えるのが嫌になるくらい多い。

 興味深いのは、はしばしに騙(かた)り、「なりすまし」が現れること。エベニーザーは何度も他人に名を騙られ、困難に直面する。逆にバーリンゲーム三世はしばしば他人に成りすまし、暗躍する。

 たかだか200数十年前まで、自分は◯◯という人間なのだということを他人に証明する手段がなかったのだ。現代であれば、本人を証明するツールは多々ある。しかし、そういうものがなかった当時は、いとも簡単に他人になりすまし、さまざまな悪事を働くことができた。権謀術数が渦巻き、だれが善人でだれが悪人かもわからない。この作品を読みながら、自分が自分であることを容易に証明できる現代がいかに平和で、しっかりした社会制度のうえに築かれているかをあらためて痛感した。

 この作品がいかに知的遊戯に満ちているか、2つの例をあげよう。

 ひとつはエベニーザーとバーリンゲーム三世が即興で詩をつくりながら、披露し合い、詩の本質について語るくだり。ここで二人は詩のヒューディプラス的要素(ただ韻をふむだけではなく、近接した言葉を用い、音感や機智、諧謔などを表現する)のなんたるかを示す。英語という言語が、いかに韻に適しているかがわかる。

 もうひとつは、二人の娼婦がマシンガンのように相手を罵り合う場面。よくもこうまで人をこきおろす言葉が考えられるものだと感嘆する。その応酬は延々5ページも続く。これを読むと、「沈黙は金」「言わぬが花」などという文化が根づいていたこの国とはまるでちがうということがわかる。

 また、ニュートン、ホッブス、デカルト、ヘンリー・モアらが登場するのも面白い。彼らはその時代に生きた人たちである。

 バースはこう書いている。

 ――デカルトは筆が立つ男で、どんな荒唐無稽な仮定をももっともらしく解説する天才。自説に適合するように宇宙を歪曲する名手だ。ニュートンは反対に、自然界の事実というものを絶対的に尊重しながら、粘り強く実験を重ねていく卓抜な実験家だ。

 実際にそうだったのだろうか。

 最後に、本書に登場する箴言めいた言葉をいくつか紹介しよう。

・世間はおのれの気に入ることを信じる。

・歴史を作るのは、戦争や法律や布告よりも、むしろ陰での握手である。

・人間、首を助けんがためには心臓でも売る。

・おれは世界の中の一部を愛するものではない。極端に対立するものを含み、さまざまな矛盾を孕みながら、種々雑多な色に染め分けられているこの世界の全体を丸ごと愛しているのだ。(バーリンゲーム三世)

・七年生きようと七十年生きようと、何の違いがあるというのだ? 永遠にくらべたならば、人間の生涯なんぞ眼ばたきする間にも当るまい。それをいかに過ごそうとも、最後が来れば蜉蝣(かげろう)のごとくに死ぬるだけのこと、そして星辰は相も変わらずその軌道を廻り続けるというわけだ。営々と働いたとても、その損得はいずこにありや? ベッドにもぐっておろうと、法廷に坐っておろうと、同じことではないか」(ケアン船長)

 

 本書では、正と悪が入れ替わるエピソードがたくさん出てくる。正と思って肩入れすると悪を助長していたり、その逆だったり……。世間を見るとは、じつに難しい。

 

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