死ぬまでに読むべき300冊の本
HOME > Chinoma > 死ぬまでに読むべき300冊の本 > 平易な文章でしかできない芸当

ADVERTISING

私たちについて
紺碧の将

平易な文章でしかできない芸当

file.186『大聖堂』レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論社

 

 レイモンド・カーヴァーと言えば、ミニマリズムの代表的な作家である。ミニマリズムを的確に訳す言葉を知らないが、あえて表現すれば「半径五十メートルの作家」とでも言えばいいだろうか。つまり、日常の些細なことを題材に小説を組み上げていく作家である。本来なら私の好みの範疇に入らないが、カーヴァーは別格だ。平易な文章の中に、奥深い井戸を抱え持っている。村上春樹がカーヴァーをこよなく愛する理由がわかる。

 この『大聖堂』は『頼むから静かにしてくれ』や『愛について語るときに我々の語ること』などとともに中央公論社(現在は中央公論新社)が刊行した全8巻のカーヴァー全集の中核をなすもの。どれも甲乙つけがたしの名短編集・名詩集だが、この巻は表題作が特に傑出していて、ひとつ頭抜きんでている。

 レイモンド・カーヴァーは短編作家だが、これを読めば、なぜ短くなってしまうかわかる。それは、削りに削って、どんどん短くしてしまうからだ。本来であれば10行要するところも1行でバッサリ終わりにしてしまう(もっとも、この作業は編集者によるものだが)。このあたりの手際が絶妙で、読者は削られた文の痕跡に刺激され、想像力を駆使するハメに陥る。文章を削るというのは簡単そうで、実はそうではない。ただやみくもに削っていては、読者に大事なことを伝えられない。話の骨格を損なわず、大事な部分だけを残しながら余分な文章を削っていくのは、相当な手練れでなければできないことだ。

 表題作には盲人が登場するが、絶妙の配役というほかない。盲人は主人公に対し、テレビに映っている大聖堂を説明してくれと頼むが、主人公は目の見えない人に大聖堂そのものをきちんと説明する手段をもっていないことに気づく。悩んだ後、選んだ方法は、手を重ねて大聖堂の形をペンでなぞることだった。ざらざらとした紙の上を滑らせながら。

 このくだりを例にもちだすまでもなく、われわれは物事を見ているようでいて、実際にはほとんど見ていないことに気づかされる。意識することなく、ただ視界が映っているだけ。明瞭に見えるはずの視界でさえそうなのだから、ましてや相手の心の内を見るなど、至難の業といえよう。

 カーヴァーの作品は、どれも平明で簡潔。しかし読後感は軽くない。読み手の心に浸潤してくる適度な重さがある。こういう短編が書ける作家を20世紀のアメリカは数多く輩出したが、その中でもカーヴァーは群を抜いている。

 

髙久多樂の新刊『紺碧の将』発売中

https://www.compass-point.jp/book/konpeki.html

 

本サイトの髙久の連載記事

◆音楽を食べて大きくなった 

◆海の向こうのイケてる言葉

◆多樂スパイス

◆ちからのある言葉 

 

「美しとき」コラム

「自然の力を借りる」

【記事一覧に戻る】

ADVERTISING

メンターとしての中国古典(電子書籍)

Recommend Contents

このページのトップへ