食の堕落が日本人を劣化させる
本書には小泉さんの怒りが渦巻いている。
「日本人というのは、昔から主に魚を食し、雑穀根茎、陸稲水稲を食うという食生活を何千年にもわたってつくりあげてきて、その食文化の範囲の中で生きてきた民族なのである。長期間にわたってこのような食生活を続けたことによって、私たちの遺伝子には、そのようなものを食うのに適した情報が遺伝子に刷り込まれるようになった。しかし……」
戦争に負けた直後から百八十度変わってしまった。私も覚えている。学校給食の主食はご飯の代わりにパンが、味噌汁の代わりに牛乳が出ていたことを。それがアメリカの策謀なのかどうかわからない(おそらくそうなのだろう)が、日本人にはまったく合わない食べ物を強制的に食べさせられた。
そもそも食べ物は、体はもちろん心をもつくる。そう考えると、近年の凶悪犯罪多発社会はなるべくしてなったというべきか。本書の初版刊行は2001年6月で、すでに23年が経過している。その間、日本人の食の堕落はいっそう進んでいるのは間違いない。
しばしば、日本では世界中の食べ物があると言われる。それはいいことだと思っていたが、民族の食が消えつつあることの裏返しともいえる。
巷間売られている食べ物のなかには、防腐剤・着色料・酸化防止剤・増粘剤など化学添加物がたんまり混じっている。小泉氏は「毒の固まり」と指摘する。そして、食べ物をどんどんつくり、余ればどんどん捨てる。そんな罰当たりな行為を続け、国民一人あたりの医療費と薬代が世界一になって久しい。この国は恐ろしいほど不健康なのである。
「食べ物によって健康を害することもあれば、食べ物で病気を治すこともできる」とは著者の弁だが、悲しいことに、前者の割合が圧倒的に多いと言わざるを得ない。
また、本来、医師は国民の健康を維持するうえで大切な存在だが、医学大学のカリキュラムに命の根源であるはずの食べ物の科目がないことにも小泉さんは疑義を呈している。
人は人、自分は自分と割り切る人もいるだろう。事実、私もそう思っていた時期がある。しかし、そうも言ってはいられないことに気づく。病院には患者があふれ、心身を病んだ人たちが凶悪犯罪に手を染め、多くの人がうつの症状を発している。その原因を食べ物だけに求めるのは無理があるのは承知だが、大きな要因であるような気がしてならない。
憤懣やるかたない小泉武夫氏だが、お茶目なところも健在。こんなくだりがある。
銀座4丁目の鳩居堂の隣に粗(アラ)を供する店を出したいというのだ。
その店の最初の料理は、魚の頭を入れた吸い物。
「鯛でも鮃でも鯒でもなんでもいい。骨をぶつ切りにして、こんがりと焼く。ジュージュージュージュー、プチプチプチプチなどという音をたててきたら、それをどんぶりに入れて、純米酒の熱燗を一気に上から注ぐ。すると、ピューという音がするので、そのまま待つこと一分三十七秒」
次に魚の腸の塩辛「酒盗」とマグロかカツオの心臓を串焼きを出す。
すると「あぁ、素晴らしいぞ。おやじ、もっと何かくれ」と言うだろうから、「へい、わかりました」ってなもんで、おもむろに魚の皮をはいで真ん中のとこにあるゼラチン質を刻み、胡瓜もみを和えて三杯酢で出す。
そのほかにも目玉、骨、ヒレ、皮、血合、胃袋、心臓、肝臓、腎臓、腸、砂ずり、中落ち、腸の下などなんでもござれ……。それでいて仕入れ原価はゼロである。どこの魚屋でもアラの処分に困っているからだ。
「客は煮凝り丼を胃袋に収めて、安い勘定払って上機嫌で帰っていく」
……そんな店である。
いいなあ、小泉さんの妄想。だれかやってくれないか。
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