日本人の戦争観はどう変わったか
近代になるまで、日本には外国人が容易に同化できない3つの〝鉄壁〟が備わっていた。周りを海で囲まれた島国であったこと、すぐに習得ができない複雑な日本語があったこと、そして2000年以上に及ぶ皇統が社会の背骨になっていたこと。現在に至るもそれは変わらず、それらが移民への防御となっていることは事実であろう。
長く外国との接触が希薄だったことは、戦争を防ぐことにも寄与した。それはそれで僥倖であったことはまぎれもないが、負の面があったことも忘れてはならない。ヨーロッパや中国のように戦争に慣れていないがゆえ、決着のつけ方を知らなかった。たまさか日清・日露の両戦争で勝ったため、その弊害が助長されることになった。
本書は元アメリカ軍の情報将校で、大の日本びいきだったドナルド・キーンが、著名な文学者の日記から日本人の戦争観を探るというもの。現在、ウクライナ侵攻をしている当事国ロシアの民衆の反応を見てもわかるように、いかな専制君主といえど、国民の後押しなしで長期間、戦争を遂行することはできない。
キーンは、主に高見順と山田風太郎の日記に着目した。片や戦争に辟易する高見、片や戦争に興奮し、自制心を失っていく山田との対比が興味深い。
山田は米軍の無差別空襲を受けた後、こう記す。
――われわれは冷静になろう。冷血動物のようになって、眼には眼、歯には歯を以てしよう。この血と涙を凍りつかせて、きゃつらを一人でも多く殺す研究をしよう。日本人が一人死ぬのに、アメリカ人を一人地獄へひっぱっていては引き合わない。一人は三人を殺そう。二人は七人を殺そう。三人は十三人殺そう。こうして全日本人が復讐の陰鬼となってこそ、この戦争に生き残り得るのだ。
山田は〝冷静になろう〟と自制しているものの、まったく冷静さを失っている。もちろん、平和な現代において山田を批判することは簡単だ。しかし、非戦闘員を大量に焼き殺すための焼夷弾を雨霰と降らせ、夥しい数の日本人が焼き殺されるのを目の当たりにして、だれもが冷静さを保てると言えるだろうか。
冒頭に戻るが、日本人は戦争の〝負け方〟を知らなかった。一億総玉砕などと叫び、昭和天皇が終戦の勅語をラジオで放送した後も戦争継続を願っていた軍人がいた。
戦争にならないため、われわれはどうすべきか、深く考えさせられる。外交交渉によって対話を尽くすことは必須だが、そのテーブルに着くには相応の軍事力がなければならない。人間も他の生き物と同様、自衛の手段を持たなければ滅ぼされるのみ。それを失念してはいけない。
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