原寸だから見えてくるもの
展覧会の図録は結構売れる。本物の絵を見た興奮が、そうさせる。
しかし、家に持ち帰って図録を開いても、本物を見た感興は甦らない。かくしてすぐさま書棚にしまわれ、〝展覧会に行った証拠品〟として余生を送ることになる。そんな経験をした人は少なくないだろう。
当然と言えば当然だが、本物の絵と紙に印刷された絵は似て非なるものだ。同じ二次元のものだから、〝似ている〟と考えるのは大間違いだ。本物のもつマチエール(材質感)がないというのも大きいが、図録の大半は著しく縮小されている。作品の全体像がわかるというだけで、作品自体が持っている〝生命力〟はすでに失われている。資料としての価値はあるだろうが、それ以上ではない。
そんな当たり前のことに気づかせてくれたのが、この『原寸美術館』である。著者は千住博氏、企画は美術エッセイストの結城昌子氏。サイズはA4だから、通常の図録と変わらない。しかし、絵の見せ方がまるで異なる。
タイトルの通り、原寸で印刷されているのだ。もちろん、作品のすべてを原寸で載せられるほど大きな判型ではないから、部分を切り取ることになる。たったそれだけのことなのに、作者の息遣いすら伝わってくる。原寸の力である。
この本を見ると、時代を超えて生き残っている画家の凄さがわかる。絵とは、画家の目の前にある風景(風景画にせよ人物画にせよ)をそのまま描いたものではないということがわかる。画家は自分が描きたいものしか描いていない。つまり、対象物を取捨選択をしているのだ。しかし、驚くことに実際とは異なるものを描いているのに、実物以上に命が吹き込まれている。それどころか、永遠の時間さえ獲得している……。
本書は千住博のセレクションが冴えている。『那智滝図』、雪舟の『秋冬山水図』、『日月山水図屏風』、狩野永徳の『四季花鳥図』、長谷川等伯の『松林図屏風』、俵屋宗達の『舞楽図屏風』、尾形光琳の『紅白梅図屏風』、伊藤若冲の『動植綵絵』、速水御舟の『炎舞』、東山魁夷の『年暮る』ら、オールスターともいえる日本美術の27点に加え、自身の『ウォーターフォール』を収めている。
画家がいかに目の前の風景をその通りに描いていないかを知ってもらうため、長谷川等伯の『松林図屏風』と東山魁夷の『年暮る』の原寸大切り抜き(部分)を掲載しよう。
この松のとんでもなく粗い筆致! こんな枝や葉はない。
この雪の大雑把さ! こんな雪はない。
しかし、まぎれもなく画家はこの通りに描いているし、全体で見るとまったく不自然さを感じさせない(※上図は原寸大ではない)。
もうひとつユニークなのは、千住博氏が27人の画家になりきって作画の境地を文章にしていること。ほんとうはお茶目な人なんだということがわかる。
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