野生動物から見た人間の姿
この本を読んだのは、まったくのアクシデントによる。『ロック・スプリングズ』などを書いたアメリカ人作家リチャード・フォードの作品だと思い、買い求めたのだが、どうも雰囲気がちがう。汗臭い男を描くのが得意なリチャード・フォードにしては、やけにファンタジックである。不審に思い、巻末の著者プロフィールを見て、判然とした。同姓同名のイギリス人作家だったのだ。
読み始めたら、いちおう最後まで読むのをならわしとしている。
冒頭のシーンが美しい。しんしんと雪の降る日、赤ん坊を棄てるため、森に人間の夫婦がやってくる。それを遠巻きに見ているアナグマのブロック。ブロックにとってアーキュー(人間)は忌むべき敵だが、無力な赤ん坊を見殺しにすることはできない。赤ん坊を自分の巣へ連れて行き、妻に事情を話す。
間違って選んでしまったと知りながら、引き込まれた。
森に棲む動物たちにとって、人間はこのように映るんだろうな、と思う。われわれ人間は、あくまでも人間の視点で、やれ害獣だ珍獣だと騒いでいるが、もともと森の住人からすれば、はなはだ迷惑な話。あげく、開発という美名のもとに皆殺しに遭う。私が森に棲む生き物なら、人間を憎悪しよう。
さて、物語。
赤ん坊はナブと名づけられ、森の動物たちとともに成長していく。ときどきアーキューが森にやって来て、残忍な方法で仲間たちを殺すときは巣穴の奥で息を潜めているが、アーキューさえ来なければ、森の生活は楽しい。
ある春の日の午後、ナブは小川のほとりで美しい少女に出会う。以来、その少女に再会したいと願う。
ナブが人間に捕まり、監禁されてから物語は動き始める。人間に飼われているふりをしながら森の動物たちに情報を提供する犬のサムやフクロウのウォリガル、ノウサギのペリフットらとともに動物たちはナブの奪回に成功する。しかし、人間は大挙して森に侵入し、動物たちを皆殺しにしようとする。
やがてナブたちは森の小妖精王ウィチナーに会い、ある使命を託される。それを果たすためには、危険な長い旅をしなければいけない。その旅に、小川のほとりで会った少女・ベスも同行することになる。
かくしてナブはベスに会っていっしょに旅に出る。ともに行くのはウォリガル、ブロック、サム、ペリフット。冒頭の静かな森の寓話から、ハリーポッターもどきの冒険譚に変わっていく。
この物語をただの寓話とみなせないのは、強烈な文明観が注入されているからだ。リチャード・フォードは野生動物保護に従事しているからか、反科学、反文明を鮮明にしている。動物たちは人間をアーキューと呼ぶが、それは悪王ドレアグとアムダーが怒り狂って創った生き物で、「大いなる敵」という意味だ。しかし、人間にはエルドロン(友だち)もいる。敵か友だちかは、森の動物たちに対する態度で大きく分かれる。
フォードは、善王アシュガロスが宝石として地球を創ったとしている。しかし、アーキューは自然を破壊し、ついには自分たちをも破滅に導く戦争を続ける。
作者は進みすぎた科学に対して警鐘を鳴らしている。しかし、その警鐘はまったく効かないようだ。人類は自らが生み出した科学に翻弄され、もだえ苦しんでいる。