人間という不可思議な生き物
内海隆一郎といえば、独特の「ハートウォーミング」という文体で知られる。読むと心がほっこりする、温かい短編。日常のなにげない一コマを描きながら、人間が本来もっている善なるものに焦点を当てる。それが一部の人(特に文芸評論家)にとっては、玉に瑕と映ることもあるようだ。
『家族の肖像』は趣が異なる。人間誰もがもつ善と悪、そしてその間の微妙な揺れ動きを的確にとらえ、普遍化している。本書に収められた8篇すべてが万華鏡のように互いを映し合い、人間という不可思議な生き物を立体的に浮かび上がらせている。
「ガラスの鈴」
死を目前にした老人と彼を介護する娘の微妙な心のやりとりを描く。会話のない無音の世界に鈴の音が鳴り響くとき……。軽やかな音が、複雑な父娘の葛藤を鮮やかに表す。
「去っていく男」
ガンで余命いくばくもない中年の男が、親友の医師と思い出の場所を訪れる。命が燃え尽きることを受け入れた彼だが、妻と娘たちへの愛惜の念はどうにもならない。そんな彼に思いがけない〝プレゼント〟が……。
「異形の松」
屋根裏で発見された能舞台の鏡板用に描かれた、おどろおどろしい松の絵をめぐる物語。絵の作者は、かの狩野芳崖とわかったが、その絵は二度と人の目に触れないところへ行ってしまう。芸術家と宮大工の矜持が美しい。
「娘屋の話」
寂しい老人の、一時の慰みのために派遣される〝借りの娘〟という仕事に就いた中年女性の話。老人たちはさまざまな思いを〝娘〟に仮託し、心の安寧を得る。
「壁の絵」
かつて住んでいた自宅兼旅館を久しぶりに訪れ、家を出るときに壁に描いた自画像の落書きを目にする中年男性。時が移ろい、旅館は廃れ、男性はにっちもさっちもいかない状況に。しかし、壁の落書きは、昔日と変わらぬまま、男に問いかける。
「誰もいない家」
遺産相続の話し合いのために集まった親類縁者と弁護士。突如、降って湧いた遺産相続に直面し、欲に憑かれた人間たちの哀しくも滑稽な姿を描く。
「紅の殻」
明治天皇に殉死した乃木希典の邸に奉公していた二人の女性の話。乃木夫妻が自刃する様子を大げさに仕立て上げた劇の興行で、一時はスポットを浴びるカネさんだが、その後の人生は坂を転げ落ちるように落ちていく。
「松の絵」
再び能舞台に設えられる鏡板に描かれる松の話。父の遺志を継いで能を描く画家となる昭雄に、一世一代の大仕事が舞い込む。昭雄は渾身の力をこめて老松を描くが、モティーフとなった松は、精気を抜き取られたかのように枯れていく。
最後の描写が凄まじい。
――枝も葉もすべて脱落した大幹が、硬直した裸腕のように篠竹の叢から突きでて、春陽にみちた空を掴もうとしていたのである。
インドのベナレスで行われる死者の焼却を連想してしまった。
蛇足ながら、私は内海氏の晩年、縁あって1年ほど師事することができた。文章に対する内海氏の厳しさをあらためて思い知らされ、身のすくむ思いである。