地に足をつけて生きるということ
10年にひとりの才能と言っていいだろう。あらゆるものがふわふわと実態を失っていくなか、大地にしっかりと根をおろし、「生きる」「生き延びる」「生き抜く」という、生き物にとって根源的なテーマに真っ向から挑んでいる。「ハッピーエンドの物語は信じない」と著者は言うが、圧倒的な説得力をもって迫ってくる言葉だ。
この物語を貫く時間軸は、明治・昭和・平成と長い。それぞれに血のつながった主人公がいて、それぞれ馬との関わりがある。舞台は東北から北海道と狭いが、時空間が飛び抜けて長いところが特徴だ。
時代は明治。冒頭は捨蔵という18歳の青年が、北海道開拓に志願して福島の村を出ていくところから始まる。
捨蔵には母親ミネがいる。ミネは、村を出ていく息子にある〝書物〟を持たせる。自分で手書きした自分の物語がそこに書かれている。捨蔵はそれを読み、母の数奇な運命を知る。そして自分が馬によって生かされたことも。
ミネは若い時分、村の青年と駆け落ちし、アオという馬に乗って逃げ延びる際、雪崩に遭い、雪洞に閉じ込められてしまう。一ヶ月後に救助されるが、生きている愛馬の肉を食べ、命をつないだ様子が記されている。雪洞に閉じ込められれば、人間も馬もない。生き物同士だ。やがてアオは観念し、自らの肉を食べられるままにする。この描写は凄まじいのひとこと。日本文学史に残る迫真の描写と言っていい。
時代は昭和へと移る。北海道・根室で生活の場を得た捨蔵は、厳しい環境にあって馬を飼育し、一家を養っていた。息子は戦死したが、その娘・和子が跡継ぎとして懸命に働いている。
しかし、物語は滑らかではない。近隣の花島での使役のためにと貸し出していた数等の馬が、台風による崖の崩落によって戻って来られなくなる(その島は現在「ユルリ島」という名で存在している。興味のある方は検索を)。
一家の収入源を失った捨蔵は、失意のうちに十勝へと流れて行く。
第3章は時代が下って平成の世。重厚な筆致が、風通しのいい軽妙な筆致に変わるところがすでに手練である。
この章は、和子の孫ひかるが主人公だ。ひかるの祖母は脳障害を患ってから、頻繁に馬のことを口にする。それを聞いたひかるは、はるか昔、一族が馬によって助けられたことを思い出す。そして、花島へ行って自分の子孫を助けた馬の子孫に会いたいと願う。
大学の〝馬研〟に頼み、島へ渡ったひかりは、その島でたった一頭、生き延びている馬に会う。なんとかして連れ戻したいと意気込んで乗り込んだひかるだが、その馬にとっては、その地で粛々と命をまっとうすることが生きることなのだ、と悟る。そこでの馬との交感もまた名筆だ。
本書は、三浦綾子のデビュー作『氷点』の50周年を記念して、1回限りで行われた「三浦綾子文学賞」の受賞作。2作目の『肉弾』は大藪春彦賞を受賞している。この作品も、大自然を舞台に「生きるとは」というテーマにがっぷり四つに組んでいる。
まだ40歳、羊飼いを辞めて、作家業に専念するというが、とんでもない逸材の出現である。