死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

生と死を越えた男と女の交感

file.050『透光の樹』髙樹のぶ子 文春文庫

 

 この作品の主人公は今井郷と山崎千桐。生身の人間と人間がここまで深く交感できるものなのか、と思わせるほど濃密に関わった。

 二人が20数年ぶりに再会したとき、郷は47歳、千桐は42歳になっていた。それからわずか2年2ヶ月の出来事を綴った物語だが、二人の生と死は、そして二人が共有する記憶は、時間の観念を超越し、悠久の時へと昇華した。宇宙から見れば、人の一生など塵芥(ちりあくた)のようなものだが、死んでもなお、相手の心に生き続けることができるのは人間の特権でもある。この世に生まれてきた以上、そういう人と出会いたいと誰しもが思うことだろう。そういう点でも、郷と千桐は稀有なほど幸せな男と女と言うべきだろう。

 

 赤坂に事務所を置き、テレビのプロデュース会社を経営する郷は、仕事と酒、女というお決まりの荒んだ生活をおくっている。一方、千桐は金沢に近い鶴来町で結婚と出産、そして離婚を経験し、半分呆けてしまった父親の介護をしている。

 ある日、千桐の前に郷が現れた。20数年前、テレビの取材で千桐の父親を取材し、刀子をもらったことがあるという。取材現場だった六郎杉をもう一度見たいのだと。千桐の父は火峯といい、鍛冶職人であった。

 二人が深い関係になるまで、そう長い時間は要らなかった。二人は北陸で、そして東京で逢瀬を重ね、身も心も惹かれ合っていく。

 

 今、大人の恋愛小説を書かせたら、髙樹のぶ子の右に出る者はいないだろう。若い男女の甘酸っぱい恋愛小説とは一線を画した、熟年男女のとろりと胸に沁み渡るような関係。読み終わった瞬間にどういう内容だったかを忘れてしまうような作品とは対極にあり、いつまでも心の奥底に強烈なシミを残す老練な手管をもつ作家。

 どうしてそういう文章が書けるのか。もちろん、彼女の人生の経験がそれらを培ったというのは言うまでもない。

 微に入り細に入りの濃密な性描写は、わずかでも書き手の心に不純物があれば、たちどころに下品な文章となろう。事実、「ポルノ小説じゃないんだから、ここまで書かなくても」と思ったことは1度や2度ではない。

 しかし、とても不思議なのだが、文章に透明感があるため、少しも卑しくない。むしろ、人間という生き物が愛おしく思えてくる。なぜ、この世に男と女がいるのか、感覚的に納得させられてしまう。

 加えて、ときどきの怜悧な人間観察が物語の基礎を固めている。なるほど人間ってこうだよなあ、とか、男ってこういうところあるよね、と思えてくる(残念ながら女になったことがないため、女性の心理描写についてはそこまでのリアリティーはないが)。

 愛の行為のあと、二人はこんな会話を交わす。

「お互いに灰になる体と体が繋がって、さっきみたいに凄いことがおきた。おまけに、そのことを覚えている者は、誰もいなくなる」

「寂しい?」

「いや、ただ感動しているんだ。あたりまえのことなのに、奇蹟に思える」

 仕事柄、郷の前を多くの若い女がいっとき触れ合って通過していった。いわば、郷にとって女はそういう存在だった。しかし、50近くになって、初めてこの世に生きて人生の妙を知った、生きていることの奇蹟を知った。こういうなにげない会話が随所に散りばめられている。

 やがて郷は治らぬガンに冒されていることを知る。会った頃に比べて二まわりも痩せた男を見て、千桐がそれを悟らないはずはない。

 限りある命だと知ってからの、最後の逢瀬は鬼気迫るものがあると同時に、寸分を惜しんで命を燃焼し尽くそうという心の動きが微細なところまで伝わってくる。

 圧巻は、その後、郷から千桐に一振りの刀子が届けられる場面である。それを見て、千桐は前のめりに座り込む。愛する人の死がわかったからだ。

 ——郷さん、死ぬの? うん、死ぬらしい。いつ。まだわからない。死んだら知らせるよ。どうやって。あなただけにわかる方法を考える。

 千桐は郷と交わした会話を思い返す。その刀子は、いつか千桐に返すと郷が言っていたものだ。かぎかっこのない地の文で綴られた二人の会話に思わず息を呑む。表面的には冷静だが、心の内は不安と絶望がのたうちまわっている、そんな二人の様子がその地の文から伝わってくる。

 郷が死んだ後の最終章は、千桐の娘・眉の目を通して描かれている。痴呆症になってしまった母が陽だまりの中、六郎杉にもたれながらなにごとかを呟いている。もはや呆けてしまっているにもかかわらず、最後に残された本能が亡き愛人と交信しているのである。それを見ている娘は、母の姿に何か名状しがたい不快なものと、哀れみと、羨望のようなものを覚えて立ちすくんだ。眉の夫は堅実な銀行マン。眉は、それまでに一度も燃えるような恋をしたことがないと寂しい心を抱えている。そして、たぶん母は自分が一生味わえないような経験をしたんだと悟る。

 最後の一文が、鋭利に読む者の心に切り込んでくる。思わず、背筋が寒くなる。

 髙樹のぶ子の文章は、清明な風景描写や艶やかな食べ物の描写にも秀でている。一篇で何通りもの愉しみ方がある作品だ。

 

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