素敵な人の、素敵な本
緒形拳という俳優に惹かれていた。今村昌平の監督作品『楢山節考』での迫真の演技は今でも脳裡にこびりついている。
表情に品があり、どことなく恥ずかしそうにしたり、抑制されたたしなみが感じられた。かといって、ただの堅物とは思えなかった。むしろ、人生を楽しんでいるオーラを感じた。
ウィキペディアに次のようなエピソードが載っていた。
ある時、親友の津川雅彦から若い女性との合コンに誘われた際、参加するかしないかを真剣に悩み迷った末に「雅彦、オレやっぱりどうしても行くことができない」と思いつめたような声で断りの連絡をしたという。それを聞いた津川からは、「お前がそのことで悩んだのは大きな進歩だ」(=参加しないと思っていたが、悩んでくれただけでも大したものだ)と言われるほどだった。
わかるわかる、その気持ち。なにを隠そう、私も同類である。ホステスが隣につくナイトクラブなど、頼まれても行きたくない。まったく楽しいと思えない。逆に〝ガマン料〟をもらいたいくらいだ。
緒形拳は楽しいことをたくさん知っていた。だから、そういうところに行く必要がなかった。私の知人を見てもわかるが、そういう場所へ足繁く通う人は、寂しがり屋で没頭できるようなことをもっていない人が大半だ。
なぜ、緒形拳はそういう人なのかと知ったのかといえば、今回紹介する本書を読んだからである。エッセイや自作の詩が自筆で添えられ、巻末は自作の書、そして巻頭にはロベール・ドアノーが撮った緒形拳のポートレートが何枚か掲載されている。表紙のカバーをはずすと鮮やかな赤が現れるという装丁で、一冊まるごと風雅なのだ。
緒形拳がロベール・ドアノーに写真を撮ってもらいたくて、本人に直接こんな手紙を送った。ちなみに、ロベール・ドアノーは「市役所前のキス」などで有名なフランスの写真家で、外国人は撮らないという人だった。
――ひとりの日本人の内側に血を通わせてください。俳優ですが、詩を書いたり、やきものをつくったり、字を筆で書く東洋の古典美術も好きです。了承してくださったら胸踊らせて巴里へ行きます。
なんと、ドアノーから快諾の返事がきた。なにか心が通じ合うものがあったのだろう。その後、ふたりの温かい交誼は続く。味わいのある男と男のそれは、読んでいて胸がほっこりする。
滋味のある人柄からか、多分野にわたって幅広い交友があった。池波正太郎や奥村土牛も緒形拳と深く関わった人である。
どうして緒形拳は豊かな感性を持ちえたのか。俳優業といえば、華やかだが軽い人というイメージがある。勘違いしている人も少なくないようだ。しかし、緒方は毅然と一線を画していた。
おそらく、生まれながらの感性と幼少の頃の環境がそうさせたにちがいない。
彼は5歳の時、母に連れられて行った下落合の寺で、扁額の書を見て動けなくなってしまったと書いている。「妙」という字だった。5歳の子供に「妙」が読めるはずがない。それなのに電気で打たれたような感動を覚えたという。彼は終生、そのような感性を失わないような生き方を貫いたのだろう。
素敵な人の、素敵な本である。
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